復元された志段味大塚古墳と背後の東谷山。
「歴史の里しだみ古墳群」は、名古屋市の北東端に位置する守山区上志段味に集積する「しだみ古墳群」と古墳群からの出土物を展示する「体感!しだみ古墳群ミュージアム」で構成されている。
志段味古墳群についてのブログ。整備方針への提言。
2013年白鳥塚古墳・志段味大塚古墳など見学
歴史の里基本計画(案)についてのパブリックコメント
尾張と志段味古墳群の歴史的変遷・ヤマト王権との関係についての概要。
「志段味古墳群の実像」読書メモ
2019年4月1日に「体感!しだみ古墳群ミュージアム」がオープンし、あわせて志段味大塚古墳を復元するなど歴史公園として整備された。
関連講演会として、4月14日に志段味大塚古墳出土鈴鏡に関するシンポジウム、4月21日に「志段味大塚古墳の主を視る」の第1回講演会「鈴鏡から文化を視る(講師・赤塚次郎)が開催されたので、両日とも講演会を聴くかたわら、古墳群の整備状況を視察した。
3月30日・31日はプレオープンとして入場無料と報道され、3月30日(土)9時前にミュージアムへ赴いたのだが、一般入館はイベント終了後の12時以降になると係員から告げられた。
一般入館の時刻は事前に告知されていなかったので、問い合わせしなかった当方に責任があるのだが、館側が事前に告知すべきだったと、その場にいた数人が抗議した。
イベントには興味がないので、車で20分ほどの自宅へ帰り、13時過ぎに電話で尋ねると、盛況らしく100人ほどが列を作って入館待ちをしていると聞いて、あきらめた。
春休み期間中も混んでいると思い、4月14日(日)13時開始・12時開場のシンポジウムに行くことにして、11時50分ごろミュージアムの駐車場に着くと満車状態だった。身障者スペースに駐車して、受付に行くと、2階会場で料金500円を支払うシステムとのこと。
2階会場には既に観客が入っており、行列ができたので10分前に開場したという。500円の領収書で開講前は出入り自由なので、ミュージアム近くにある志段味大塚古墳を見学することにした。
館を出てすぐの東屋で数人が軽食を食べていたが、そのうちの一人が春日井市在住の知人(展示場が狭いという感想を述べていた)だったので挨拶した。
大塚3号墳。
大塚3号墳。説明。
大塚2号墳。
大塚2号墳。説明。
大塚3号墳・大塚2号墳を経て、志段味大塚古墳を見学。12時30分にミュージアムへ戻り、身障者手帳を提示して無料で1階展示室を見学し、13時に2階講演会場へ入室した。16時30分終了後は雨のため、古墳群の見学はできなかった。
ミュージアム北側にある低位段丘と中位段丘の間の崖。
4月21日(日)、歴史講演会が13時30分開始、13時開場なので、12時45分ごろに会場に着くと、ほぼ満席状態であった。入口付近にいた赤塚次郎氏も驚いた様子であった。赤塚次郎氏は覚えていないだろうが、1991年ごろに、のちに世界遺産となった玄界灘の沖ノ島に上陸して見学するツアーで、ご一緒した。
15時に講演が終了し、車で5分ほどの白鳥塚古墳を見学した。
ミュージアム南西の大久手古墳群の整備状況は未見である。
感想。
ミュージアムという名称は、博物館にするべき。指定管理者が中電興業になっている。中電興業の主力事業は電柱広告らしい。展示館・指定管理者事業も請け負い、「でんきの科学館」や数館を受託して、このミュージアムもその一環らしい。
名古屋市も入札して選定したようだ。古墳は分かりづらいので、子供が喜ぶような「でんきの科学館」的なものを求めたようだ。子供コーナーや古代服コスプレコーナー(展示室内ではなく別の場所で。スペースがもったいない)手法は理解できるが、古墳学という考古学という学術水準を放棄している。これは、名古屋市教委の職場放棄で、市民をバカにした態度は改まっていない。
受付付近にいた男性職員に、常設展示の図録がないね、と言ったら怪訝な顔をしていた。図録という言葉も理解していない。常設展示の図録という発想がない。これは、作らなかった名古屋市教委が悪い。京大から借用した志段味大塚古墳出土品の簡易的な図録も用意されていない。
古墳をテーマにするミュージアムであれば、学術的出版物を充実するのは常識ではないか。
常設展示にも、それは表れていて、小中学生向けのレベルにとどまっており、本当に知りたい情報レベルの展示解説はない。それは、尾張氏とヤマト王権の権力関係の変遷であるべきで、定説を提示しづらいだろうとは思うが、仮説として幾つかの考え方のヒントとして詳しい解説も加えるべきで、そうでなければ全国の考古学ファンのレベルからみれば嘲笑される水準であり、名古屋の恥になってしまう。
それ以外も、パブコメで提示していた課題には対応できていないので、歴史の里は自己満足で終わっているものと評価せざるをえない。
以下、続く。