彦根城。表門前。
2019年5月9日(木)。彦根城は40年ほど前の1970年代末頃に両親と訪れている。天守の階段が急だったことを覚えている。今回は見送ろうと思ったが、「近畿の名城を歩く滋賀・京都・奈良編」を見ていたら中世の山城としても評価できると書いてあったので、立ち寄ることにした。
また、障害者の無料制度があり、彦根城・玄宮園と博物館のセット券1200円分が無料となる。
米原市の道の駅「近江母の郷」を出て、開場時刻8時30分ごろに、表門前(二之丸)駐車場へ着いた。
内堀を渡る橋には、「ひこにゃん」の登場時刻が掲示してある。天守前には10時30分に登場する。
入場券売場で障害者手帳を提示して、石段を上がりかけたが、10時30分だと時間を持て余しそうだったので、横にある彦根城博物館を先に見学して時間調整することにした。
彦根城天守閣(上)と麓の彦根城博物館。航空写真。
彦根城博物館は彦根市の市政50周年を記念して、1987年(昭和62年)に開館したという。前回見学したときには無かったということになる。
5月のGWには国宝の「彦根屏風」が展示されていたという。美術書で何度も見ているので、残念というほどでもない。複数の展示室も展示替えのため閉鎖しているとのこと。
彦根城博物館。彦根城表御殿の復元。
博物館は表御殿のあった場所に建設され、概略として政庁であった「表向」の部分を現代的な展示室として、藩主の生活の場であった「奥向」の部分を江戸時代の姿に復元している。
慶長9(1604)普請が始まったころ、藩主の井伊直継は佐和山城から移って鐘の丸に住み、慶長11年に本丸御殿へ移った。元和8(1622)年に表御殿が完成し、藩主直孝が本丸から移った。
彦根城博物館。彦根城表御殿の全体図。
左の「奥向」は復元せずに、展示室・ロビーとなり、右の「奥向」の部分を江戸時代の姿に復元している。
能舞台。寛政12(1800)年、藩主井伊直中のときに建てられた実物を移築復元した。
江戸時代の御殿に建てられた能舞台としては現存唯一の遺構である。
現代の復元かと思ったが、鏡板の松の絵が古寂びていたので、まさか思ったら江戸時代の遺構であった。
ガラス窓の手前側には観客席が並んでおり、能の公演も行われるようだ。
この能舞台は表御殿が取り壊されたとき、市内の井伊神社に移築された。戦後は市内の神社2か所を転々としたのち、1988年の博物館開館にあたり、元の場所に移築復元されたという。
博物館所蔵品の映像ビデオによると、井伊家の家宝の多くは東京に移されたが、関東大震災によりほとんど焼失したという。彦根に残ったものは少数だったようだ。
表御殿奥向の復元。
能舞台を除き、木造で復元された。
ただし、襖絵が描かれていたはずだが、資料がないため復元されなかったという。
名古屋城本丸御殿の襖絵は復元できたが、ここを見て感じたのは庭園が復元できていないことだ。
茶室「天光室」、「御寝之間」、「御亭」など。
坪庭の花木。茶室「天光室」入口廊下から北の彦根城天守方面。奥向の南部分に当たる。
茶室「天光室」。
「一期一会」の言葉を残した大名茶人で幕末の大老・井伊直弼は、しばしばここで茶会を催している。
茶室「天光室」。
水屋もあるので、実際に茶会ができるようだ
庭園。茶室「天光室」横から。
なかなか趣のある立ち蹲踞である。
「御寝之間」。藩主の寝室。
右の「御次之間」には、お世話をする者が控える。その左奥は藩主の居間である「御座之御間」。
高御廊下と「御亭」の間の庭。北部分から南の「御寝之間」方向。
瓢箪型の池がかわいい。
「御亭(おちん)」。藩主が寛ぐための建物。
奥座敷の説明。
床の間の赤い壁土は米原市西円寺の赤土を使っている。