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彦根城 天守 天秤櫓 ひこにゃん

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彦根城。天秤櫓、廊下橋。
201959日(木)。
以前、彦根城の天守閣に昇ったのは約40年前だが、内部の梯子段が急だった記憶しか残っていない。
ひこにゃんが登場する1030分に合わせて、10時過ぎに彦根城博物館を出て、表門入口の坂を登った。本丸までの比高差は50mある。石段の坂は200mあるだらだら坂だが、心臓病持病者につらい。5段ほど上がると心肺機能が付いてこず休まねばならないので、ゆっくり上がっていった。
坂の終点は天秤櫓前の橋を見上げる大堀切である。
 
この地点は、右が本丸、左が鐘の丸という曲輪、反対側には大手門に至る石段が下っているという十字路になっている。
 
彦根城の特色としては、石垣、天守、堀、土塁を備えた近世城郭であると同時に、中世山城にみられる切岸、竪堀、堀切などの防御施設を取り入れて、中世と近世の築城技術を融合した縄張りとなっていることである。
 
徳川家康の重臣・井伊直政は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、18万石にて近江国北東部に封ぜられ、石田三成の居城であった佐和山城に入城した。直政は居城を移すことを計画していたが、慶長7年に死去した。家督を継いだ井伊直継が幼少であったため、家老の木俣守勝が徳川家康と相談して慶長8年琵琶湖に面した彦根山(金亀山)に彦根城の築城を開始した。
彦根は中山道(旧東山道)、朝鮮人街道(旧下街道)、北国街道が交わり、琵琶湖の湊もあるという水陸交通の要所であり、豊臣秀頼の住む大坂城に備える軍事拠点であった。
 
彦根築城は、尾張藩や越前藩など7か国12大名が手伝いを命じられる天下普請であった。慶長9年には鐘の丸が完成し、佐和山城から直継が移った。慶長11年には大津城から移築されたという本丸天守が完成した。慶長20年大坂夏の陣で豊臣家が滅ぶと、元和元(1615)年以降は彦根藩の単独普請となった。この時に表御殿が建造され、1622年(元和8年)すべての工事が完了した。その後、井伊氏は加増を重ね、寛永101633)年には徳川幕府下の譜代大名の中では最高となる35万石を得るに至った。
 
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彦根城。天秤櫓、廊下橋。
廊下橋は戦時には、落す構造になっている。
天秤櫓土台の石垣は右側が築城当時の打ち込みハギ積み、左側が江戸後期の改修による落し積みになっている。
 
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南堀切石塁石垣(天秤櫓土台石垣)の調査と修復。
20092010年に調査と修復が行われた。
 
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南堀切石塁石垣(天秤櫓土台石垣)の図面。
 
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鐘の丸。
天秤櫓と堀切で隔てられた丘陵の先端部にある。
 
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天秤櫓。重要文化財。
鐘の丸曲輪から堀切の上の廊下橋を渡った突き当たりにある天秤櫓は、長い多聞櫓の左右の端に22階の一対の隅櫓を構え、あたかも天秤ばかりのような独特な形をしている。
長浜城大手門を移築したものと伝わる。
 
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天秤櫓。入口付近の梯子段。
櫓は名古屋城の隅櫓と同じく、天守閣なみの見所であった。
 
イメージ 3天秤櫓のみどころ。
 
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天秤櫓の壁のみどころ。
 
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天秤櫓の壁が防弾用に二重壁となって厚くなっている部分。
 
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天秤櫓の窓の格子は菱形をしており、侵入する敵を弓矢や鉄砲で広い角度で狙っている。
 
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天秤櫓。内部。
 
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天秤櫓から東方向。麓に表御殿(彦根城博物館)とその先に佐和山城跡。
 
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石田光成の居城であった佐和山城。
織田信長が侵攻するまでは、北近江の京極氏と南近江の六角氏が争う境い目の城であった。
 
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太鼓門および続櫓。重要文化財。
天秤櫓を出て、さらに登ると本丸の表口を固める櫓門に至る。合図の太鼓を置いたところから名付けられたという。ほかの城の城門を移築したもの。
 
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太鼓門および続櫓の本丸側の石垣。
 
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太鼓門および続櫓。
建物の背面には壁がなく、高欄付きの廊下になっているのは、太鼓の音を響かせるためといわれる。
 
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彦根城。天守。国宝。
33階。大津城天守を移築したものといわれ、慶長121607)ごろの完成とされる。
 
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彦根城。天守。
 
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彦根城。天守。内部。
 
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彦根城。天守。内部。
通し柱がないことが特徴という。
 
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彦根城。天守
3階からの眺望。西方向。
 
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彦根城。天守
3階。内部。
 
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彦根城。天守
3階の梯子段。
 
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彦根城。天守
3階の梯子段。
 
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彦根城。10時32分ごろ、天守
1階からひこにゃんが登場する姿を見下ろす。
 
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彦根城。天守石垣下のひこにゃん。
ひこにゃんは2006年に誕生。2013年からはほぼ毎日3回、彦根城に登場して観光客を楽しませている。彦根市の2019年度予算案が市議会で否決され「ひこにゃん」に関わる経費約3000万円が計上されない事態となった。活動を担う一般社団法人日本ご当地キャラクター協会(彦根市)
が自主的に運営し、以前通りの活動を続けているらしい。
天守に登場するのは10時30分~11時の1回のみ。
 
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彦根城本丸東端の月見櫓跡から北の井戸曲輪と西の丸の石垣を望む。
丘陵頂部の北半分は西の丸が占めている。

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根城本丸東端の月見櫓跡から北東下の玄宮園・松原内湖跡・琵琶湖方面を見下ろす。
ちょうど5月末までは石垣の修理工事で立入り禁止になっていたので、往路を下り、玄宮園へ向かった。

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