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天神山城跡。岡山県和気町。平成
26年5月13日(火)。岡山県美咲町の月の輪古墳見学を終え、国道を南へ戻って、和気町北部の吉井川左岸にそびえる天神山城跡へ向かった。天神山城は、備前の戦国大名浦上宗景の居城であった。三石城を本拠とした浦上氏は浦上村宗のとき、主君赤松義村を幽閉暗殺して実権を握り,細川高国を擁して上洛し覇権を掌握しようとしたが,義村の子政村(のちの晴政)が三好元長に内応したことにより摂津大物で敗死した。
浦上宗景は浦上村宗の次男で、父の死後、侵攻した尼子晴久と結んだ播磨室津城主の兄政宗と対立し、本拠を和気郡天神山に移して、備前・美作を支配した。天文~元亀年間(1532‐73)には尼子氏次いで毛利氏と美作・備中を舞台に覇を競った。その間,備前西半を中心に重臣宇喜多直家の勢力が伸張するに及び,1573年(天正1)足利義昭追放後の織田信長に款を通じ,播備作3国安堵の朱印を得た。その結果,宇喜多氏の離反を招き,翌年毛利氏と結んだ宇喜多直家と対立,天正3(1575)年天神山城を攻略され,没落した。
宗景の子の与次郎は直家の娘婿であったが、直家に毒殺されたという。
天神山城跡への登城道は川岸からもあるが、比高300mもあるので、比高差の小さい南東高台の和気美しい森からの登城道を選択、和気鵜飼谷温泉方面から北上し、14時40分頃に美しい森ビジターセンターの広大な駐車場に到着した。道標に従い、建物群の間を通り抜けると、根小屋跡を通り、ほとんど高低差もなく堀切や郭や本丸跡などのある太鼓丸城(前期天神山城)の城域に達する。
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天神山城跡。太鼓丸城(前期天神山城)。軍用石。尾根道には巨岩の重なりがあり、軍用石の表示がある個所が
2か所ほど連続する。Image may be NSFW.
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天神山城跡。太鼓丸城(前期天神山城)。太鼓の丸。虎口。太鼓丸城は、元は室町時代以前に日笠氏が築いた出城であったが、享禄
4(1531)年に浦上宗景が天神山城に移ったとき、最初に整備した城で、天文2(1533)年に、北西に天神山城を本格的に築いたあとは、東の砦程度の扱いとなった。連槨式の山城であるが、太鼓の丸や郭のあたりは、標高405m前後で、北西の天神山城本丸の標高は337mと、こちらの方が高い。虎口の周囲には高さ2m、延長20mほどの石塁が廻っている。
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天神山城跡。太鼓丸城(前期天神山城)。太鼓の丸。太鼓丸城の東端にある。時々太鼓を打った所といわれ、狼煙台としても使われたようだ。
ここから、標高310mの鞍部までの急降下となる。
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天神山城跡。太鼓丸城(前期天神山城)。上の石門。帰りの登りを予想しながら、痩せ尾根の石混じりの道を下っていく。
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天神山城跡。太鼓丸城(前期天神山城)。亀の甲。ここから鞍部までは近い。
鞍部から天神山城の城域へ入る。
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天神山城跡。南の段と馬屋の段の間にある南櫓台。はっきりとわかる造成地。
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天神山城跡。馬屋の段。
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天神山城跡。本丸跡。標高
337m。Image may be NSFW.
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天神山城跡。本丸跡。北方向への眺望。
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天神山城跡。本丸跡。東側には天神社の祠がある。
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天神山城跡。二の丸跡と長屋の段。
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天神山城跡。桜の馬場。城内で最大の曲輪。北側には大手門があり、西端には鍛冶場があった。
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天神山城跡。桜の馬場。
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天神山城跡。鍛冶場跡。城の拡幅工事に必要な器具の製造・修理、武具・武器に確保のため鍛冶職人を常に置いていた。
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天神山城跡。三の丸跡。
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天神山城跡。三の丸跡西端の東屋。
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天神山城跡。三の丸跡西端から眺める吉井川。この地を選定したのは吉井川の舟運と、北方の尼子氏への対応のためという理由があったようだ。
ここから、往路を帰る。戦国大名浦上宗景にふさわしい大規模な山城であった。
16時15分頃駐車場に帰った。管理棟には人の気配がなかった。
帰路の登り返しで大汗をかいたので、和気鵜飼谷温泉に立ち寄り入浴した。登山帰り風の熟年団体がいた。
日程を考慮して、赤磐市奥吉原の熊山遺跡を見学することにした。
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熊山遺跡。赤磐市奥吉原。国史跡。ピラミッドを思わせる特殊な三段方形の石積遺構で、岩盤上に基壇を築き、その上に三段の石積を構築している。古来より信仰の対象となっていた熊山(標高
508m)の山頂付近にある。吉井川を南に渡り、JR熊山駅付近から林道に入った。狭い舗装道だったが、17時過ぎだったので、通行車両は少なく助かった。山上の駐車場に着き、熊山神社には寄らず、遺跡へまっすぐ向かい、17時50分頃に遺跡に着いた。
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熊山遺跡。流紋岩を正方形に組み上げており、全高は約
3.5メートル、各辺の長さは基底部が約12m、下段が約7.7m、中段は約5.2m、上段は約3.5mである。Image may be NSFW.
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熊山遺跡。二段目には四方に龕がみられ、三段目の頂部中央には方形の竪穴が設けられている。方形竪穴の中には、陶製筒形容器と奈良三彩小壺が納められていた。
出土した陶製筒形容器や奈良三彩小壺、仏龕の存在等から、頭塔や土塔と同様に奈良時代の仏塔と考えられている。
遺跡一帯の山塊には、33ヵ所に及ぶ石積遺構が確認されている。
南側100mほどにある展望台へ。
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熊山展望台からの展望。南西方向。吉井川、児島湾と金甲山。
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熊山展望台からの展望。南東方向。小豆島。
18時頃、駐車場を出て、道の駅「黒井山」へ向かった。