2012年5月10日シドニー空港国内線バスのバス停ベンチで拾得。大判のペーパーバックだが、紙質が粗く軽量だったので、土産に持ち帰ることにした。ぱらぱら読むと面白そうだったので、帰宅後読み始めたが、20ページほど読んだのち、旅行が続いたため中断、2013年7月初めから本格的に読み始めた。英和辞典の高校生程度の単語の半分程が分からないぐらいの英語力なので苦労して読み進んだ。オーストラリアの現代政治史をモチーフにした実話小説で、殺人とか血なまぐささはない政治スリラーという評価。
主人公はロイ・テンプルという架空の弁護士で、1975年当時ホィットラム労働党政権のアドバイザーという設定。ハーグの国際司法裁判所判事に推薦されている。彼は、1930年代の学生の頃、オーストラリア共産党の活動家であった姉のアリソンの影響のもと、活動の手伝いをしていた。ある日、入党しようと党の集会に出かけたが、その日は姉が知り合いの画家をトロツキストとして糾弾し続けたため、入党の気持ちが失せた。その後、オックスフォード大学へ留学したときに、フルトン卿を中心とする左翼活動集団でのちに外務省の先輩となるコリン・メイリックやサイモン・デイシーとともに行動するが、最後には離れてしまった。オーストラリアへ帰り、キャンベラで外務省の官僚となった。1945年の国際連合創立時にサンフランシスコへ派遣され、政府の別部門から派遣されたフレヤ・ゲイルと知り合い恋仲になる。
1954年オーストラリアにおけるソ連のスパイ・ペトロフの事件が発覚すると、外務省の先輩であったコリン・メイリックはブダペストへ亡命し、ペトロフ事件査問委員会に、南太平洋を研究領域とした人類学者のサイモン・デイシー、外務省を追われシドニーで法廷弁護士の道を歩んでいたロイ、フレヤの3人が喚問された。ペトロフ文書に記された協力者のコード名ダッチが示され、ロイではないかと疑われた。ペトロフ事件は結局、誰も訴追されずに終わった。なお、有名なアメリカにおける共産党のスパイ活動The Amerasia Affairも言及されている。
ロイ・テンプルは1975年11月の総督ジョン・カーによるホィットラム首相罷免の直前に、罷免を回避するべく労働党議員グループに対案を働きかけるが、サイモン・デイシーの議員への働きかけやスパイ関係文書の再発掘などにより、ペトロフ事件への関与を疑われたロイは翻弄されてしまう。ネタばれになるが、姉アリソンの保存文書の中から、コリン・メイリックのアリソン宛ての手紙が発見され、ペトロフ文書中のコードネーム・ダッチは、アリソン、コリン・メイリック、サイモン・デイシー3人による捜査攪乱のためのでっちあげと分かる。
作品の冒頭はサイモンによるビキニ環礁での水爆実験の現地レポート。原水爆実験のため強制移住させられた島民の酋長とのエピソードもある。人類学者であるサイモンはニューギニア独立運動とも関わり、1975年当時労働党議員と接触した。その議員は太平洋戦争当時ニューギニアのディリを占領した日本軍に対し、原住民と協力してJAPと交戦した。JAPという言葉は頻発する。オーストラリアの反日意識は反捕鯨運動に連なっている。
ニューギニアやティモールは20世紀初頭からオーストラリアが植民地化しようと狙った地域であり、関心と関与は深く、ダーウィンの博物館でもティモール紛争への関与が紹介展示されていた。
ニューギニアやティモールは20世紀初頭からオーストラリアが植民地化しようと狙った地域であり、関心と関与は深く、ダーウィンの博物館でもティモール紛争への関与が紹介展示されていた。
Petrov Affairペトロフ事件は大事件であったようだが、知らなかった。1975年11月の総督ジョン・カーによるホィットラム罷免事件も大事件であったが、知らなかった。ホィットラムや次のフレーザー首相の名前は知っていたが、総督に首相罷免という措置が許されるかという憲法危機という大問題になったとは知らなかった。この事件により、総督制度の可否が現在も続く政治問題となっている。総督ジョン・カーは離任後、国民から批判が強く、一時英国に追われる状態になった。
作者ニコラス・ハズラックの父ポール・ハズラックはジョン・カーの前代の総督であったので、作者はシドニーの総督官邸やキャンベラの国会議事堂における細部はよく承知しており、当時の状況は父親からも見聞していたようだ。ニコラスは西オーストラリア大学とオックスフォードに学び、パースで弁護士を開業後、西オーストラリア州最高裁判事に就任。オーストラリア・カウンシル文学部会の会長でもある。
ポール・ハズラック1905-93。 歴史家、準州担当大臣(1951-63)、国防大臣(1963-64)、外務大臣(1964-69)、オーストラリア連邦総督(1969-74)。1905年、西オーストラリアのパース近郊フリーマントルに生まれる。両親は貧しい救世軍の一員であった。奨学金を得て、パース・モダンスクール、西オーストラリア大学で学ぶ。その一方で、1922年から1938年まで『ウェスト・オーストラリアン』紙の記者。1926年西オーストラリア歴史学協会の創設に尽力し、西オーストラリア大学歴史学部で講師・準教授を務め、先住民と白人入植者との関係についての研究成果を発表した。
1941年から1947年まで外務省で勤務、国連活動ではオーストラリアの代表となった。1947年から1969年にかけて下院議員を務め、大臣を歴任した。準州担当大臣として、アボリジナルの人々の地位向上、パプア・ニューギニアにおける教育・行政サービスの促進に努力した。国防大臣、外務大臣としては、オーストラリアの地域関係を改善し、また、アメリカとの同盟、反共産主義、ヴェトナム戦争への軍隊派遣といった、保守的な政策を維持した。
1968年、ハズラックはオーストラリア自由党党首の座を目指すが、国内政治における経験不足が懸念され、対立候補であったJ.G.ゴートンに敗れた。翌年、首相となったゴートンの指名を受けて、オーストラリア連邦総督に就任した。1974年に政治家を引退。引退後は歴史家としての活動を再開し、晩年まで執筆活動を続けた。
1941年から1947年まで外務省で勤務、国連活動ではオーストラリアの代表となった。1947年から1969年にかけて下院議員を務め、大臣を歴任した。準州担当大臣として、アボリジナルの人々の地位向上、パプア・ニューギニアにおける教育・行政サービスの促進に努力した。国防大臣、外務大臣としては、オーストラリアの地域関係を改善し、また、アメリカとの同盟、反共産主義、ヴェトナム戦争への軍隊派遣といった、保守的な政策を維持した。
1968年、ハズラックはオーストラリア自由党党首の座を目指すが、国内政治における経験不足が懸念され、対立候補であったJ.G.ゴートンに敗れた。翌年、首相となったゴートンの指名を受けて、オーストラリア連邦総督に就任した。1974年に政治家を引退。引退後は歴史家としての活動を再開し、晩年まで執筆活動を続けた。
エドワード・ゴフ・ホイットラム(Edward Gough Whitlam、1916 ‐ ) は、オーストラリアの元政治家、第21代首相、労働党。憲法に基づき、オーストラリア総督によって罷免された首相として知られる。
1972年に23年間にわたる自由党による保守党政権に替わり誕生した労働党政権はベトナム戦争への参加を終わらせ、革新政権として、ホイットラムが首相に就任した。しかし予算審議が膠着し、国政が停滞すると、野党自由党の新党首マルコム・フレーザーは激しい政府攻撃を展開。上院での予算案通過を阻止することに成功した。このような事態に至り、ジョン・カー連邦総督はホイットラム首相を罷免。これは憲法に規定に従ったものである。ホイットラムはこれを受け入れ首相を辞任しフレーザー選挙管理内閣に政権を委譲した。
ジョン・ロバート・カー( John Robert Kerr、1914 – 1991)は、第13代ニューサウスウェールズ州の最高裁判事、第18代のオーストラリアの総督。シドニーの労働者階級に生まれる。シドニー大学卒業後に労働党に入って政治活動を始めた。1974年にオーストラリアの総督に就任。1975年、上院での予算案審議の拒絶を理由にカーはオーストラリア憲法64条の規定に則ってゴフ・ホイットラム首相を罷免した。憲法には違反しないものの、総督が従うべきと考えられていた憲法的慣習にそぐわない行為であったため、物議を醸した。体調不良を理由に、1977年12月に総督を辞職した。後にカーをユネスコ大使に推薦する声が寄せられたが、当時の労働党の党首だったビル・ハイドンは反対を表明し、この計画は頓挫した。その後、カー夫妻はオーストラリアを離れ主にヨーロッパに滞在するようになった。
The young idealist never knows where his good intentions may finish up.
When Roy Temple and his friends are accused of espionage in the Cold War era, a cloud of suspicion will linger over them for years, although they are never charged with any crime.Twenty years later, Roy is a leading barrister and key adviser to the federal government, with a bold plan to resolve Australia′s political crisis. But the old allegations cast long shadows, and even those he wishes to help doubt his motivation -- does he want to save the government, or save himself?
Amid half-truths, leaks, intrigues and denials, Roy is forced to confront his past to discover who he can trust--and who has betrayed him all along.
When Roy Temple and his friends are accused of espionage in the Cold War era, a cloud of suspicion will linger over them for years, although they are never charged with any crime.Twenty years later, Roy is a leading barrister and key adviser to the federal government, with a bold plan to resolve Australia′s political crisis. But the old allegations cast long shadows, and even those he wishes to help doubt his motivation -- does he want to save the government, or save himself?
Amid half-truths, leaks, intrigues and denials, Roy is forced to confront his past to discover who he can trust--and who has betrayed him all along.
Perth judge-turned-author Nicholas Hasluck's tenth novel, Dismissal, is a political thriller that takes us back to that dramatic day in 1975 when Gough Whitlam was sacked by the Governor-General, Sir John Kerr.But the novel also delves into other threads of Australian history including the Petrov Affair and the fear of Soviet spies.
Hasluck's father was Paul Hasluck, governor-general before Kerr and an attendee of the 1945 San Francisco Conference that established the UN, an event whose intrigues drive this novel's early suspense.
Like many elements of the story, the fact a communist-inspired spy ring pilfered commonwealth secrets from External Affairs in the 1940s is based in history, and Hasluck's great achievement is the surprising thread his fiction weaves through our 20th century, from atomic tests to the stain of East Timor, to that most famous of speeches on the Parliament House.
Like many elements of the story, the fact a communist-inspired spy ring pilfered commonwealth secrets from External Affairs in the 1940s is based in history, and Hasluck's great achievement is the surprising thread his fiction weaves through our 20th century, from atomic tests to the stain of East Timor, to that most famous of speeches on the Parliament House.