アパカ・ポイント・ビーチパーク。2013年3月17日(日)。オロテ半島入口にある米国ビジターセンターを見学後、西へ進み、米軍が上陸したアガット・ビーチの東端にあるアパカ・ポイント・ビーチパークへ。海岸線から突出した小さい半島状の地形を利用して日本軍のトーチカが構築された。
アパカ・ポイント・ビーチパーク。西側の岩場に構築されたトーチカは米軍の砲爆撃で破壊されている。石灰岩の突出部分に直接築かれ、偽装のためコンクリート製の陣地の外壁には岩がはめ込まれた。地下道が設けられ、攻撃を避ける防護室や弾丸貯蔵庫へと奥の方へ分岐していた。
アパカ・ポイント・ビーチパーク。トーチカ後部の出入り口は半島状地形の付け根にあり、原型のまま保たれている。アガット・ビーチからは死角になっている。
ガアン・ポイント・ビーチパーク。アガット・ビーチの中心に位置している。3日前の戦跡ツアーでは右奥の丘にあるトーチカを見学したが、左の海岸は見学しなかったので、再訪した。
ガアン・ポイント・ビーチパーク。アガット湾に向けて設置されている日本軍の短20センチ砲。ほとんどの沿岸砲は偽装網やコンクリート製掩蔽壕で覆われていたが、ここの砲台は外部に晒されていたという。このあたりに、米軍第1臨時海兵旅団が上陸した。
ガアン・ポイント・ビーチパーク。日本軍の対空機関銃。96式25ミリ高角機銃。対空用及び上陸用周堤への射撃に使用された。
ガアン・ポイント・ビーチパーク。対空機関銃の設置状況。土嚢に囲まれている。戦争直後米軍が撮影した写真。
ガアン・ポイント・ビーチパーク。もう1基の短20センチ砲。背後は有羽山(アリファン)方面の山並み。日本軍第38連隊の司令部は有羽山に置かれたが、末長連隊長の独断で連隊は米軍上陸の夜に山を下りて玉砕攻撃を敢行し、ほとんどが戦死した。
ガアン・ポイント・ビーチパーク。ビーチ近くの海中にトーチカらしきコンクリート製の構築物が残っている。背後はアメリカ海軍基地のあるオロテ半島。グアム戦当時は日本軍の飛行場があった。
アサン岬方面へ戻る。
ピティ・ガンズへの入口。ピティはアプラ港に近い町で当時は港町とよばれていた。1号線から陸側へ入った教会が入口なのだが、分かりにくい。6号線を山側に向かい、最初の北へ左折する道を北へ数分走るとめざすアワーレイディ・オブ・アサンプション教会がある。その左に長屋風の会堂があり、手前に駐車して、会堂の左から丘陵方向へ向かうと、入口がある。
ピティ・ガンズへの入口。遊歩道の階段。階段の先は森の中の地道が登って行く。
ピティ・ガンズ。3門残る大砲の第1番目。日本海軍の沿岸防備用の大砲で、50口径3年式14センチ単装砲とよばれる。1914年式ヴィッカースタイプである。3門の砲は完成が間に合わず、実戦に使用されなかったため、大砲の存在が知られたのは数か月後のことだった。グアムの太平洋戦争歴史公園区域内に残る大砲で、元の場所で保存されているのはここだけという。
ピティ・ガンズ。第1番目の大砲。アサン岬方面へ向いているらしいが、海は見えない。左へ水平の道を歩くと、第2番目の大砲が転がっている窪地を見て過ぎると、第3番目の大砲が見えてくる。
ピティ・ガンズ。第3番目の大砲はコンクリートの基礎で築かれた砲台の上に置かれている。
ピティ・ガンズ。第3番目の大砲の砲口はアサン岬の方向を向いて据えられている。まばらな灌木の枝の間からは、ビーチや海がはっきりと見えている。
この丘陵にはアメリカの農業機関により、1928年からマホガニーが植林されて、大木に成長しているのも見所という。
15時頃だったので、思い切って島の北端リティディアン岬へ向かうことにした。
アンダーソン空軍基地。ノース・ウエスト・フィールド。3号線からリティディアン岬方面への脇道に入る。しばらくすると、道路に穴が開いたままになった状態が数丗海、車を左右に振ってかわさざるをえない悪路となった。陸側には空軍基地があり、建設作業が行われているようだった。
リティディアン岬付近。岬が近づくと、道路は急坂を下っていった。残念なことに、道路を進むとゲートがあり、15時からは閉鎖されており、岬方面にはアクセスできなかった。近くのココパーム・ガーデン・ビーチでも行こうかと進んだら、入場料が必要だったので、諦めて帰ることにした。
恋人岬。タモン湾のビーチとホテル群を眺める定番の展望台。
そのまま、空港へ向かい、レンタカーを返して、空港内で翌日未明の関西空港行きKAL便を待った。