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ジミー・ヘンドリックスの代表曲は「オール・アロング・ザ・ウオッチタワー」


もう一つの代表曲「パープル・ヘイズ 紫のけむり」をラジオで初めて聞いたとき、変わったギターサウンドに衝撃を受けた。これが、実質的に日本でのデビュー曲であろう。出だしのギターフレーズから緊迫感があふれている。ボーカルやギターソロも迫力があった。1967年3月25日メロディー・メーカー紙初登場。日本はその半年後以降か。クリームの登場と重なっている。両者がブルースロックの創始者で、両者のいいとこどりをしたレッド・ツェッペリンがのちにロックの主流となるハードロックの創始者となった。

1970年9月18日に24歳で急死。その後数年間は日本の音楽雑誌にも回想記事がよく掲載された。エリック・クラプトンの回想では、ジミヘンのライブステージをクラプトンはたびたび聴きにいって、そのアイデアをクラプトンが自身のライブで真似させてもらったように言っていて、私はジミヘンがクラプトンの師匠だったのかと感慨に耽った。実際には、クリームはジミヘンとそれほど似ているわけではないのだが。
ジミヘンのもう一つの印象的な記事は、彼は自分のヒット曲をせがまれるのが好きではなく、お馴染みのフレーズをわざとおざなりに弾いていたということ。本当の心の内には何があったのか。
映画「ウッドストック」は封切で見たが、「星条旗よ永遠になれ」は興ざめだった。ギターを歯で弾いたり、燃やしたりするのも、ギミック過ぎて彼の真価からは遠い。

ジミヘンの真価が現れている曲が「オール・アロング・ザ・ウオッチタワー」だ。ワイルドなボーカルやギター。間奏のリズムの切り方、終盤の嵐を思わせるギターの泣きなど劇的な表現が優れている。唯一の欠点はジミヘンの作詞作曲ではなくボブ・ディランの曲ということだけ。ディランも認めるほどのカバー曲という評価は本者だ。最近デイランの原曲もyou tubeで聞いたが、別の曲に聞こえる。ニール・ヤングの「ウオッチタワー」カバーも味があるが、ジミヘンにはかなわない。なお、曲の前半の歌詞はディランとは少し異なっている。

ネットで見ていたら、代表曲が「ブードゥー・チャイル」という説があった。70年代には雑誌でそう書いていた評論家もいたことを覚えてはいるが、これは駄曲に近い。。
私は1977年に発売された「エッセンシャル・ジミ・ヘンドリックス」という2枚組のベスト盤を当時購入して、全22曲を聞き比べた。その中でA評価とした曲は「HOUSE BURNINNGU DOWN」「ALL ALONNG THE WATCHTOWER」「ROOM FULL OF MIRRORS」「DOLLY DAGGER」「EZY RYDER」「PURPLE HAZE」「LITTLE WING」「CASTLES MADE OF SAND」。
ジミヘンは優秀な作曲家であり、ボーカリストでもあったことが、もっと評価されるべきだろう。

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