旧遷喬尋常小学校。重文。岡山県真庭市鍋屋。平成
17時20分頃、国道181号線脇のエスパスホール駐車場に駐車。旧遷喬尋常小学校は敷地内北西にある。広いグラウンドの奥に横長のクラシックな建物が身を横たえていた。
「迎賓館を思わせる豪奢な洋風建築」、「木造ルネッサンス風小学校」と評される旧遷喬尋常小学校校舎は明治40(1907)年に完成した二階建ての木造建築で、シンメトリー(左右対称)のデザイン。スレート及び桟瓦葺で、建築面積は601.2㎡。玄関と職員室、講堂(2階)からなる中央棟の東西両翼に教室棟が伸びている。設計は県の江川三郎八工手、建築材は真庭市木山国有林の優れた檜、杉材を選定し使用している。
入場は無料で、18時まで開館している。
旧遷喬尋常小学校校舎。中央棟の正面中央には高瀬舟をかたどった校章の入った丸い屋根窓(ドーマー窓)がある。玄関左右を前面にせり出して破風
2つを組み合わせ、その上に大きなマンサード屋根(二重勾配)を乗せている。正面左右の壁にはベネチア窓風の飾り窓があり、軒下の壁に筋交いを組み化粧している。窓間の板壁は水平に下見板が張られ、窓下は垂直の縦羽目板である。一階と二階の間に胴コーニス(蛇腹)が入っている。
旧遷喬尋常小学校校舎。玄関右にある石碑。昭和
47(1974)年に創立百周年を記念して建立された。旧遷喬尋常小学校の前身は、明治3年町内の有志が発起して作った明親館という塾で、命名は備中聖人の山田方谷である。遷喬尋常小学校は明治7年(1874)栄町にあった久世代官所御蔵(年貢米倉庫)を校舎として開校した。
校名の由来は中国の古典・詩経の一節「出自幽谷遷于喬木」からで、中から2文字をとって山田方谷が名付けた。「ゆうこくよりいでてきょうぼくにのぼる」と読む。ウグイスが深山の暗い谷間から飛び立ち、高い木に移ることに例えて、学問に励み立身出世することと解釈されている。
中央棟。
2階へ昇る階段。教室。映画・テレビのロケ地としても多数活用され、これまでも
NHK連続テレビ小説「カーネーション」、「ALWAYS 三丁目の夕日」、「火垂るの墓」、「大病人」などの名シーンが撮影されてきた。教室と廊下。廊下は分厚い松材、戸の板壁は全面無節の杉材と、建築材は選りすぐったものを使用した。
教室。
2
階講堂。二階中央の講堂は、二重折り上げの洋風格(ごう)天井となっており、鏡板はすべて無節の檜柾目板である。透明ガラスは、角度によって景色が変わるものがあり、短い期間しか造られなかった貴重な手造りである。講堂の風格は訪れる者を圧倒する。2
階講堂。入口。平成17年、ドラマ「火垂るの墓」のワンシーンに使用された。校舎端の回り階段は幅広くゆったりとしており、上下には橋の欄干を思わす細かい細工が施されている。
展示室。写真。新築校舎落成式。明治
40年7月20日。展示室。写真。講堂内部の絵葉書。明治
40年頃。落成まもない講堂内部の写真を絵葉書にしたもの。北側中央に奉安庫が見える。展示室。扁額「出自幽谷遷于喬木」。複製。明治
7年山田方谷揮毫。原品は真庭市所蔵。展示室。当時の机と椅子。
展示室。江川三郎八コーナー。設計者・江川三郎八の略歴。
展示室。江川三郎八コーナー。模型。旧倉敷町立倉敷幼稚園。大正
4(1915)年建築。展示室。江川三郎八コーナー。模型。旧倉敷町役場(現倉敷館)。大正
5年建築。江川三郎八の偉業は、要求された機能を重視した平面計画、木造で大スパンの空館構成にあるという。このコーナーには旧旭東幼稚園(岡山市、重文)や岡山県立矢掛高等学校など8点の模型と、数十点の写真が展示されている。
江川三郎八の現存する代表作・旧遷喬尋常小学校校舎を見ることができて感動した。
18時近くになり、翌日の登山対象である泉山の登山口に近い鏡野町の道の駅「奥津温泉」へ向かった。