エルデニ・ゾー僧院。ハラホリン。
2014年7月7日(月)。9時頃、ハラホリン村のムンフスール・ゲストハウスから車で数分のエルデニ・ゾーへ向かった。チベット仏教の僧院エルデニ・ゾーは、108個の白い仏塔で囲まれた400m四方の敷地の中に建つ寺院群で、世界遺産オルホン渓谷の文化的景観の中心的な遺跡である。
エルデニ・ゾーの北東にモンゴル帝国の首都カラコルムの遺跡が一部発掘公開されている。カラコルムの遺跡は現在地表上には見るべきものがない。ハラホリンはカラコルム遺跡のすぐ西にある村で、小村ながら世界遺産オルホン渓谷観光の拠点となっており、近くにオルホン川が流れている。
オルホン渓谷は、昔から豊かな草原が広がる肥沃な土地で、北アジアの遊牧民族国家は必ずここを本拠地とした。そのため、石器時代からモンゴル帝国の時代までの数多くの考古学遺跡が残っている。
世界遺産オルホン渓谷の文化的景観の遺跡は、オルホン碑文という8世紀初頭の突厥王国のビルゲ・ハーンおよびキョルテギンの石碑群、ハル・バルガス遺跡という8世紀後半のウイグル帝国の王都、モンゴル帝国の首都カラコルムの遺跡、エルデニ・ゾー僧院などで構成されている。
今回は以上の4遺跡を見学することができた。石碑群とハル・バルガス遺跡は徒歩圏内ではない。
エルデニ・ゾー僧院。ゴルバン・ゾー(三寺)入口。この区域だけが有料。
エルデニ・ゾー僧院。ゴルバン・ゾー(三寺)。中央の寺がゴル・ゾーとよばれ、左右に東寺・西寺がある。
ゴル・ゾーは1585年にエルデニ・ゾーで最初の寺として、アバダイ・ハーンが建設した。
アバダイはモンゴル民族中興の祖ダヤン・ハーンの末子で外モンゴルの原型となった七旗ハルハの創設者ゲレセンジュの孫で、1580年代にアルタイ山脈の北でオイラト軍を破って有名になり、チベット仏教を初めてハルハに導入して、1585年夏かつての帝都カラコルムの地にエルデニ・ゾーを建立した。
アバダイの子孫がハルハ左翼の盟主トシュート・ハーン家となり、アバダイの曾孫がジェブツンダンバ1世(ザナバザル)である。
東寺・西寺はザナバザルの兄であるトシュート・ハーンが17世紀初めに建立した。
アバダイの時代はチベット仏教ゲルク派は優勢ではなく、サキャ派のラマ僧の指導のもとに建立した。そのため、ゴルバン・ゾーは中国建築風の様式となっている。
寺院装飾。
ゴルバン・ゾー(三寺)。寺院入口。
ゴルバン・ゾー(三寺)。韓国人ツアー客が多い。
ゴルバン・ゾー(三寺)。東寺。
ゴルバン・ゾー(三寺)。基壇の上から。
エルデニ・ゾー僧院。チンギス・ハーンが陣営で煮炊きに使用したとされる大きな鉄鍋。
エルデニ・ゾー僧院。僧院内のゲル内部の祭壇部。
エルデニ・ゾー僧院。ソボルガン塔。境内中央にある仏舎利塔。第
4代ボクド・ハーンの25歳の記念として1799年に建立された。堕落した僧侶を太喝する目的もあったという。エルデニ・ゾー僧院。ラプラン・ゾー。チベット様式の寺。
18世紀にモンゴルの人々の寄付により建立された。大講堂では10人ほどの仏教僧が勤行していた。20世紀初めのエルデニ・ゾーでは1万人を超す僧が居住していたといわれるが、1930年代の仏教弾圧により、多くの僧が殺害され、残った僧も還俗されて、エルデニ・ゾーは閉鎖された。
エルデニ・ゾー僧院。ラプラン・ゾー。五体投地をする私。ガイドが見本を示したので私もやってみた。モンゴル人客もやっていた。
ラプラン・ゾーの中で馬乳酒を飲まされたが、酸っぱさにとても1杯は飲めなかった。
エルデニ・ゾー僧院。銅塔かと思われる。
エルデニ・ゾー僧院。境内中央やや南から北方面を眺める。オルホン川の向こうには低い山並みが続いている。山が北風を防ぎ、水が豊かな草原の地である。
1時間ほど見学ののち、エルデニ・ゾー僧院を出て、日本のJICAの援助で2011年に新設されたハラホリン博物館へ向かった。エルデニ・ゾー僧院の見学だけでは、ハラホリンに来た意味はない。