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モンゴル ウイグル(回乞)帝国の首都ハル・バルガス遺跡 

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8~9世紀ウイグル(回乞)帝国の首都ハル・バルガス遺跡。ハラホリン(カラコルム)近郊。
 
20147月8日(火)。
ホショーツァイダム遺跡からハル・バルガス遺跡へ向かうには、ハラホリンへ一旦戻って、ツェツェルレグ方面への道路を辿らねばならない。歩き方には、オルホン川を挟み反対側の西岸にあるというので、オルホン川を渡れば行けるように思っていたが、違った。
ハラホリンの2日前に泊ったムンフスール・ゲストハウスに寄り、従業員の地元ガイドを便乗させて向かうことになった。
ハラホリンのオルホン川に架かる橋を渡って、ツェツェルレグ方面への幹線道路を10kmほど進むと、看板も標識もない場所から北東へ草原の中の轍だけの道を走っていった。
30分近く走ったところで、ようやくハル・バルガス遺跡が彼方に姿を現した。
遺跡の北西に駐車し、城壁跡の土手を乗り越えて、遺跡内に入った。私たち3人の他に、人の気配はなかった。
 
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ハル・バルガス遺跡。城壁内中央北の宮殿跡とされる小高い丘。
ハル・バルガス遺跡はオルドゥ・バリク(宮殿の町)ともよばれ、ウイグル帝国の第3代君主であるブグ(牟羽可)汗(在位759779年)によって建設された都城である。
ウイグル帝国は突厥帝国を滅ぼしたチュルク系部族のウイグル部族が建国したモンゴル高原を主な領域とした遊牧国家である。
オルホン川北部に接するセレンゲ川北岸に第2代モユンチョル可汗が建設した都城の「バイバリク」から、本拠地を移した。ハル・バルガスは840年にキルギスに侵攻されて破壊され、ウイグル帝国は滅亡した。
 
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ハル・バルガス遺跡。城壁内中央北の宮殿跡とされる小高い丘。
宮殿は木造の美しい建物であったが、陥落の際に焼失した。
高さは約20mほどあり、東側に付けられた坂道から頂上へ登ることができる。
 
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宮殿跡の頂上。オボーがあり、木の枝とハダクが巻かれている。
 
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宮殿跡の頂上から。南側。左がオルホン川方向。中央がハラホリン方向。
城郭址は東西に長い長方形で、420m×335mの広さ。城壁の高さは約7mで、東南部の突出部は高さ約12m
 
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宮殿跡の頂上から。北東方向。
 
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宮殿跡の頂上から。東方向。オルホン川の流れが見える。
 
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宮殿跡の頂上から。南西方向。南西端には土塁で囲まれた方形の城郭跡が残る。
 
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宮殿跡の頂上から。南方向。中央部には建物基壇の跡が残る。
 
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宮殿跡。壁穴が穿たれており、風化による崩壊が心配される。
 
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宮殿跡。中段から南西角の城郭跡を見る。
 
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宮殿跡南の建物基壇跡。陶器の破片が散乱している。
城内で発見された軒丸瓦の文様は唐代に典型的な蓮華文で、中国人職人の関与が想定されている。
 
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南西の城郭跡から宮殿跡方向を眺める。
 
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南西の城郭跡から北方向へ城内の中央から北の部分を眺める。
 
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西側の城壁上部。西下の道路を進み、北西部に駐車した。
 
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西側の城壁上部。西洋人らしい若い男女が見学に来ていた。車は見ていない。
 
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西側の城壁から西方向への眺め。都城の西側約25k㎡に町があったという。
 
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南西隅の城壁から東側の眺望。城郭址から南に数㎞にわたって市街区が広がり、都市と上層部の定住化という従来の遊牧国家にはみられない現象が起こっていたという。
城外の南には巨大な石碑の断片が散乱しており、碑文は突厥文字による古テュルク文、漢文、ソグド文の三体で記されているという。
 
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南西隅の城壁。発掘調査中の区画がある。
 
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西側の城壁の下部にも調査中の区画があった。
 
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西側の城壁下部の調査中の区画。排水路のようなものか。
運転手と現地ガイド。ガイドには短時間なので5000Tgを支払った。
 
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西側の城壁。高さ約10mほどはある。
 
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西側の城壁。
 
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仏塔らしき遺構。
高校世界史で出てくる回乞の首都跡を実見し、その場に立つことができて感動した。
17時から40分ほど見学し、ハラホリンのゲストハウスへ向かった。

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