チンギス・ハン生誕伝承地の一つモンゴル北東部ヘンティー県ビンデルの村周辺。2014年7月14日(月)。7時30分にゲルを出発し、11時頃にバイカル湖へと北流するオノン川の橋を渡り、北東に進むとビンデルの村に近づいた。
新石器時代から狩猟民が居住した肥沃な大草原には湖が多い。
ビンデルの村のゲート。商店や住居がまばらに並ぶ小さな村である。中心広場にある簡単な観光地図を参考に、クリルタイ跡、チンギス・ハン馬つなぎの地のある南方面へ向かった。
クリルタイ跡。クリルタイはモンゴル諸部族合同の大会議のことで、1206年の春にこのオノン川の畔に諸部族の代表者が召集され、テムジンをチンギス・ハンに推戴したとされる。
ただ、最近史跡として作られたということで、ここかどうかは確証がない。
クリルタイ跡。記念碑のプレートには1206年、チンギス・ハンの文字などが記されている。
チンギス・ハン馬つなぎの地。クリルタイ跡から東南約2kmほどの丘の上に木柱があり、テムジンがここで馬をつないだという記念碑となっている。
チンギス・ハン馬つなぎの地。丘の端には岩があった。
村の外れの丘の上からの風景。頂上にはオボーがある。新石器時代の遺跡が村の南外れの小高い岩山にあると書いてあるので、村の外れの丘に麓から歩いて登っていった。頂上付近を捜してもそれらしいものがなかったので諦めて下りた。
ウスユキソウ。村の外れの丘。高山植物があちこちで咲いていた。エーデルワイスと同種。岩手の早池峰山でハヤチネウスユキソウを見たのは15年ほど前だ。
フウロソウ。村の外れの丘。
ワレモコウ。村の外れの丘。
西から北へ村の周りを回り、村の中心地へ戻った。運転手が交渉して、商店にいた現地人をガイドとして同行案内してもらうことにして、車で南東へ向かい、橋付近を通り過ぎて、さらに東へ数km進むと、鹿石が2本ある地点に着いた。
鹿石。付近の墓と同じく、BC3世紀頃の匈奴時代のものとされる。
鹿石。鹿石は新石器時代から立てられたという。本来は鹿などが描かれているのだが、ほとんど磨滅していて、何が彫られていたのか分からなくなっている。
匈奴貴族の墓。鹿石の周辺には多数の墓が残存している。立石を起点として長方形の区画に板石が並んでいる。
匈奴貴族の墓。
匈奴貴族の墓。
鹿石と匈奴貴族の墓。
新石器時代の遺跡のある岩山と説明碑。鹿石から500mほど東の道路沿いに説明碑がある。
説明碑。ラシャン・ハド(ハタ)が遺跡名らしい。数千年前から遊牧民がこのあたりに居住を始めた。多くのシンボル、鹿・馬・サイなどの動物の絵、古文字が岩山とその周辺に残されている。
岩山の麓の岩。動物や人のような記号が彫られている。はっきり分かる石刻はこの岩ぐらいであった。
岩山の麓の岩と岩壁。ガイドが岩壁にも何かあると言ったが分からなかった。
岩山の頂上。銃を持った現地の青年が二人座っていた。
岩山からオノン川方面の草原を眺める。新石器時代からの人々の営みが繰り広がれていた。チンギス・ハンの時代は歴史の舞台となったと思うと感慨深い。
岩山に咲くウスユキソウ。このあたりも高山植物の宝庫であった。
ビンデル村へ戻る。
オノン川に架かる橋。橋へ向かうオートバイが見える。
橋の北の道路を通りビンデル村へ戻る。
オノン川に架かる橋。
ビンデル村に戻り、現地ガイドへ5千TGを支払った。
16時40分にビンデル村を出発し、北東にあるチンギス・ハン生誕伝承地ダダルへ向かった。
ダダルへはダイレクトに行けないので、先ほどのオノン川の橋を渡り、再度川の東岸を北上した。