ダダル。西の草原から東を望む。2014年7月15日(火)。チンギス・ハン生誕地とされるモンゴル北東部ヘンティー県ダダルの見学が続く。チンギス・ハンの泉から再び西の草原に戻り、匈奴貴族の墓の見学に向かった。
小高い山の右後ろにダダルの町があり、山の左側の麓にチンギス・ハンの泉、デリウン・ボルタグ、山の反対側にチンギス・ハン生誕記念碑が建てられた湖がある。
匈奴貴族の墓。細長い石板がほぼ直立にそそり立っている。
匈奴貴族の墓。この辺りにはいくつかの墓が点在している。後ろでは牛が放牧されている。
匈奴貴族の墓。
匈奴貴族の墓。
匈奴貴族の墓。長方形の区画の中央は石が蓋のように覆っている。
さらに、西へ進むと樹林地帯の中に匈奴時代の住居が復原されている。
匈奴時代の住居。復原。
匈奴時代の住居。入口。トーテンポールのような柱が両側にある。
匈奴時代の住居。内部。
匈奴時代の住居。外にある飾り柱。動物の頭蓋骨が置かれている。
東へ戻り、山の麓のチンギス・ハンの泉を越えてデリウン・ボルタグへ向かった。
デリウン・ボルタグ。チンギス・ハンの生誕地とされる小高い丘。頂上付近には20年近く前に建てられた記念の石碑がある。
頂上から少し西に下った場所に木造の展望台がある。牛の一群が草を食んでいた。
デリウン・ボルタグ。聖所なので、立ち入る前の作法として、モンゴル人ガイドがひざまずいて祈っている。
デリウン・ボルタグ。五体投地のように、体全体を伏している。
デリウン・ボルタグ。石碑。後ろに柱を組み合わせたオボーになっていて、参拝した人々が置いた無数の石が重なっている。
デリウン・ボルタグ。右回りで3回回るのが作法である。その前には馬乳酒をオボーに振り撒いて捧げる。
デリウン・ボルタグ。展望台からはオノン川に合流するバルチ川の流れとロシアにつながる森林と草原が一望ののもとに広がっている。
チンギス・ハン揺籃の地に来たことを実感する。
デリウン・ボルタグ。西側にはチンギス・ハンの泉のある灌木の茂みが見える。
デリウン・ボルタグを出て、山の東麓から南のチンギス・ハン生誕記念碑方面へ向かう。
エネルグ。太陽のエネルギーを受ける場所らしい。
チンギス・ハン生誕記念碑。湖のほとりに別荘地群のような地域があり、駐車場から5分ほど湖方向へ歩くと、白い大きな石碑がある。チンギス・ハン生誕800年を記念して1962年に建立された。建立にさいしては、社会主義政権からの弾圧により、建立に携わった学者や政治家が失脚したという。
チンギス・ハン生誕記念碑。石碑の先には小さな湖がある。
チンギス・ハン生誕記念碑。石碑の手前には行事用の青いテントが立っていた。周囲には保養地のような建物が点在している。
見学後は、保養地の建物の横で、昼食を食べた。
14時30分頃に、見学を終了し、元の食堂兼売店に戻った。ガイドに1万TG支払った。
チンギス・ハンの子供時代博物館とテムジン像。食堂兼売店の西200mほどにあり、見学できないということはどういうことかと訪ねてみると、内外とも工事中であった。
広場西の花壇。ポピーのような黄色い花が群れていて、綺麗だった。
15時15分ウランバートルへの帰路に着く。17日昼まで、2か所ほど立ち寄りながらの帰路となった。
ダ
ダルの西の丘。町外れの境界の丘に10本ほどの木柱が立っていた。
ダダルの西の丘。ダダル方面を眺める。
ダダルの南東を流れるオノン川に架かる橋。この辺りは山が多い。結構まともな橋だった。人力フェリーの地点からはかなり北東に離れた地点にある。ウンドゥルハーン方面へ向かい、途中のゲルに宿をとった。