メキシコシティー。国立人類学博物館。2014年11月10日(月)成田空港15時25分発のアエロメヒコ航空便で同日の13時過ぎにメキシコシティーの国際空港に着いた。
入管で入国カードの半券を渡される。以前は半券を渡されることがよくあったが、最近では珍しい。見つからないと騒いでいる人が宿にいた。数千円の罰金が課されるらしい。
空港ロビーで両替屋が簡単に見つからなかったので、ATMで当座の分をキャッシングした。帰国するときには、良く見たら2軒ほど銀行があったので、ドルに交換した。
宿はイダルゴ駅付近の日本人宿「サンフェルナンド館」を予約していたので、メトロバスで行けると判断。タクシーは高いに決まっている。空港ロビーをバスの標識に従い向かいと、プリペイドカードの自販機があった。スペイン語が分からないので、購入方法を思案していると、先に女性がチャージしたのを見て、何とか工夫してカードを購入。「歩き方」にはメトロバス専用と書いてある。空港線3回分で90ペソ。あわてて200ペソ紙幣を投入して後悔。そんなに使うことはないと思ったので。しかし、この記述は間違いで、実際には地下鉄にも使用できることが分かった。
4号線メトロバスの発着所は自販機に近い場所にあり、発車直前のメトロバスに乗車。幸い近くに日本人青年が乗っていて、イダルゴ駅付近のバス停を通過すると教えてくれた。歩き方の4号線バス路線図は不正確であった。彼は雑貨ビジネスで数十回メキシコに来ているとのこと。地下鉄は危険と本に書いてあるがと尋ねると、そんなことはないとのこと。10数分ほど会話し、ここで降りるようにと教えてくれて下車。
北西方向へ向かい、この辺だろうと街角を曲がり、歩道を歩き切ると、角に「サンフェルナンド館」を発見。空港到着から1時間ほどで宿に着いてしまい、自分でも驚いた。
「サンフェルナンド館」の門柵のブザーを鳴らすと、日本人青年が柵とドアを開けてくれた。ここは、フロントもないし、宿側の人間もいない。白ボードに部屋と宿泊予定者が書かれているが、私の名前はない。青年がボード下に置いてある宿の携帯で女主人に電話してみたらというので、電話すると、あと1時間ほどで帰るという。女主人一人で切盛りしているのだが、朝と夕方・夜に顏を見せる程度。3階に家族用の部屋があるようで、そこで宿を支払いにいった。
宿代はシャワー・トイレ付き個室で1泊23ドル。1階にドミトリーもあるが、個室でも安い。朝食は無料でパンとコーヒー。基本的にバナナと茹で玉子も出してくれるが、日本への電話代を払えと言われて、俺じゃないと答えて揉めた青年がいた翌日はバナナがなかった。
イダルゴ駅は交通に便利。地下鉄は2路線あり、バス停も至近距離。ソカロも徒歩圏内。北西徒歩20分にウォルマートがある。スパゲティを購入し、宿で自炊して持参した粉末パスタソースを混ぜて、簡単で安い夕食を済ませた。コールスロー、ヨーグルトも購入。寿司も食べたがチーズが入っているのには違和感がある。
30年ほど前にロサンゼルスのメキシコ人街でタコスを食べて不味さに閉口した記憶があり、トウモロコシ類は小麦粉より不味いと思っているので、無理にメキシコ料理を食べるつもりはなかった。
国立人類学博物館。入口を入った場所にある噴水。11日・12日はメキシシティーの市内見学を予定していた。まず、国立人類学博物館へ行くことにした。各地の古代遺跡見学地は決めていたが、展示を見て、追加する遺跡があるかどうか判断する材料にもなるので。
11月11日(火)。メトロのオーディトリオ駅で下車。並木道を東に歩く。意外と距離があり、入口へは無駄な迂回をさせられる。10時30分から4時間ほど見学し疲れた。人類誕生から歴史順に1階を見て行った。
ベーリング地峡時代の生活。
バハ・カリフォルニア州から出土した石器。BC
1万~1万4千年。南バハ・カリフォルニア州サンフランシスコ山地の岩絵。シカと人間が描かれている。BC
1世紀からAD14世紀までこの一帯で暮らしていたコチミ族は、いくつもの洞窟の壁面に400にも及ぶ岩絵を描いた。世界遺産に登録されている。半乾燥地帯バハ・カリフォルニア州の住居。BC7000~2500年。
展示室。多くの児童が見学していた。
第3室。先古典期。現在のメキシコシティーを含む地域にあったテスココ湖。
手前が西で右が南。アステカ帝国の首都であったテノティトランは西岸沖の島にあった。
地域は盆地状で、周囲から河川が流れ込み湖水が豊富であった。気候変動が起きる以前は現代よりも湿潤な気候が続いた。7000年前から農耕が始まり、BC1700~1250年頃に集住文化が発達し、西岸・南岸にトラティルコなどの古代文化が生まれた。
土器。トラティルコ出土。トラティルコはメキシコシティー西郊にある古代の村落遺跡で、先古典期早期・中期のBC1400~600年の間に栄えた。
土器。トラティルコ出土。
石器。トラティルコおよび中央高原で出土。
土偶。ベビーフェイスとして知られ、オルメカ文化の影響が考えられている。
アルマジロ型の土器。水差し。BC1500年頃。
トラティルコ遺跡。メキシコシティー西郊にある古代
(BC800~500年頃) の村落遺跡で、豊富な副葬品を伴った墳墓が有名。特に豪華な硬玉製品,地母神,踊り子,戦士などの小土偶,ジャガーの文様をもつ鉢,あぶみ形の注口壺などは,オルメカ文化やチャビン文化の影響ないしは関連を示すもので,中南米の各地で広く文化交流の行われていたことを示している。死体は地上および家の内外にマットで包まれそのまま置かれた。特別な死体の方向はない。人体には頭蓋骨変形、差し歯、赤色顔料の塗布が認められる。流行感染症・風土病の病歴も認められる。整骨術の発達が人口の維持に寄与したと考えられる。また、シャーマンの存在も確認できた。