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メキシコシティー 国立人類学博物館 先古典期室 第5室テオティワカン

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先古典期室。人物像。白粘土製。メキシコシティー。国立人類学博物館。2014年11月11日(火)。
モレーロス州アトリワヤン出土。メキシコシティーの南。力強い男性を象徴する眉と目はL字型をしている。広いと厚い唇。背後には想像上の四つ足動物がいる。オルメカ文化の影響がある。
 
 
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 土偶。
 
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火鉢。
上の多面体の物体はフランス・リヨンのガロ・ロマン博物館の青銅製の謎の中空12面体に似ている。フランス各地のケルト人居住地域で出土しているが、何かは不明。計測用、黄道十二宮を現わすものとか、実用・宗教などの用途が考えられている。
 
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出現期の神殿。先古典期中期になると農業生産の増加により社会の階層化が進み集落に大型建造物や神殿などが出現した。
Tepalcate hillか。
 
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トラパコヤ。神殿建築の出現。先古典期後期。メキシコ州東部のトラパコヤ。メキシコシティーの南東にあり、チャルコ湖岸の集落。BC1500~300年先古典期中期。
 
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第5室テオティワカン。太陽の円盤。太陽のピラミッド前の広場から発見された。髑髏は太陽神トナティウで、周囲は太陽光線を表していると考えられている。

テオティワカンは先古典期終末期(BC150~AD200年)から古典期(200~650年)にかけて栄えた都市遺跡である。最盛期の都市面積は20㎢におよび、メキシコ盆地人口の半数以上12万から20万人が居住した。
メキシコ盆地の北東部に位置し、盆地と外部を結ぶ交通の要衝であった。グアテマラの翡翠、オアハカの雲母など広域のネットワークがあり、都市の東側には商人地区とよばれるメキシコ湾岸民、西側にはオアハカ地方のサポテカ人居住区が建設された。
 
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実物大に復元されたテオティワカン遺跡のケツァルコアトル神殿の一部。
 
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ケツァルコアトル神殿。ケツァルコアトルとは、アステカ人の言葉であるナワトル語で「羽毛の生えた蛇」という意味である。
ケツァルコアトルは雨や水を支配する神、その右側にある大きな目玉と牙のある像が雨の神トラロックで、マヤではチャックとよばれる。
 
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ケツァルコアトル神殿への奉納品。
 
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ケツァルコアトル神殿への奉納品。
 
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ケツァルコアトル神殿裏の第5番墓地の復元。生贄として後ろ手を縛られた9体が発見された。人間の顎骨・貝で作られた首輪を身に着けていた。
 
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ウェウェテオトル神。アステカ文化の神。神々のうちで最も古い神とされる。火と血に関する信仰と関連がある。
 
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壁画。テオティワカンのアパートメント・コンパウンド。2000に及ぶアパートメント・コンパウンドは複数世帯が住む集合住宅という一面のほかに、生産活動や祭祀の場という側面もある複合的な施設であり、都市民の大半がこれに入居した。
AD3世紀頃から建設が始まり、6世紀に最盛期を迎え、12万から20万人が居住した。
内部は通路、部屋、小さいプール、儀式用の中庭などがあった。
数か所が発掘され、宗教や神話に関連した壁画が発見された
 
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壁画。1970年代サンフランシスコのデ•ヤング美術館にワグナー氏が多数のテオティワカンの壁画を遺贈した。のちに、1960年代に盗掘されたものと判明し、メキシコ側と協議した結果、半数以上の壁画が返還され、人類学博物館が所蔵している。
 
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黒曜石。テオティワカンの近くに黒曜石産地があり、テオティワカンは加工地であった。
 
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ほら貝。儀式用。
 
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仮面。儀式用。碧玉、アラバスター製。
 
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グアテマラのティカル遺跡の石碑31。複製。ティカルは、グアテマラのペテン低地にあった古典期マヤの王国で、マヤ文明の政治、経済中心都市として紀元4世紀から9世紀ごろにかけて繁栄を極めた。
石碑31にはマヤ風の正装の王と両脇にテオティワカン様式の装いの戦士が描かれている。この石碑を建立したティカル王はシャフ・チャン・カウィール2世(在位411-456AD)である。
碑文の解読により、テオティワカンの支配層と関連する集団がティカルの王位を継いだことが分かった。378131日にテオティワカンと関係のあるシヤフ・カックと呼ばれる人物がティカルへ征服したという記述がある。
当時ティカルを治めていたチャク・トク・イチャーク1世王が殺され、その後テオティワカンの支配層と関連する集団がティカルの王位を継ぐことになる。この征服によりそれまで建てられた多くのモニュメントが破壊され、新しい建造物を作る際の盛土となった。
379年、ティカルではシヤフ・カックに従属する新しい王としてヤシュ・ヌーン・アイーン1世が即位し、ペテン地域がテオティワカンの支配下に入ったという。

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