テオティワカン遺跡の模型。メキシコシティー。国立人類学博物館。中庭。2014年11月11日(火)。第6室トルテカ室の屋外にある。
テオティワカンではAD2世紀半ば頃に国家が誕生し、4世紀頃にかけてメキシコ中央高原地域で覇権国家として成熟していった。都市の建設当初から、中心部に三大ピラミッドの雛形が存在し、都市全体が一つの軸と方向性をもとに整然と設計された。
テオティワカンは650年頃に衰退し、メキシコ中央高原内では人口移動、長距離交易網と商人集団の発展が起き、複数の都市が勃興した。
トゥーラ遺跡のピラミッド建設想像図。
トゥーラ盆地はメキシコ盆地北方の現イダルゴ州に位置し、北方から南下した狩猟採集民族とテオティワカン系の集団を母体として750年頃に都市が形成された。トゥーラは900年から1150年頃に最盛期を迎え、6~8万の人口を数える中央高原の後古典期トルテカ文明最大の都市となった。
中央広場の祭壇を囲んで、ピラミッド、宮殿、球戯場などが建設され、特に北側に位置する多柱回廊の「焼かれた宮殿」とトルテカ戦士像の置かれたピラミッドBが主要な建造物であった。
展示室内の復元された宮殿は工事中であった。
貝製胸当てCoraza 。トゥーラ遺跡。赤い巻貝、真珠貝などで装甲されている。1993年に「焼かれた宮殿」の箱の中から発見された。10世紀頃の制作とされる。
球戯場のゴール。石輪。ゴム製のボールを手を使わず腰や尻などに当てて、中央部分に設けられた石輪の穴に通すことで得点を競い合ったという。宗教儀式でもあり、勝者または敗者のチームのリーダーが神への使者として斬首されたとされる。
マヤ文化が発祥とされるが、メソアメリカ各地に球戯場は造られている。
第6室トルテカ室を出て、第7室に向かう回廊に展示されている。壁のモニターに球戯の様子が復原されており、言葉ではなく映像で理解することができた。
カカシュトラ遺跡の壁画。神官。カカシュトラ遺跡はメキシコ盆地から東のポポカテペトル山群を隔てたトラスカラ州にあり、プエブラへ向かう途中にある。トゥーラと同じくテオティワカン衰退以降の続古典期の古代都市で壁画は650~900年の間に描かれたとされる。色彩豊かな壁画として名高い。
第7室メヒカの入口に展示されていた。
トゥーラの戦士像とチャックモール。トゥーラのピラミッドBの頂上になった部屋はアトランテとよばれる高さ4.6mのトルテカ戦士像によって支えられていた。
チャックモールは生贄の心臓を置く台でメソアメリカ各地に残る。