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メキシコシティ  国立人類学博物館  第8室 オアハカ

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モンテアルバン遺跡の想像図・復元模型。第8室。オアハカ。メキシコシティ。国立人類学博物館。2014年11月11日(火)。オアハカのモンテアルバン遺跡とミトラ遺跡は11月18・19日に見学した。
 
メキシコ中央高原、マヤ、オアハカの各地域のなかで、最も早く国家が誕生したと考えられているのがオアハカ地域である。オアハカではモンテ・アルバンを首都として国家が形成された。
 
オアハカ地域では、BC700~500年頃に戦争が激化し、紛争による社会不安から避難するため、BC500年頃から周辺集落のサポテカ人によって、オアハカ盆地から比高差400mのモンテ・アルバンとよばれる山頂で都市建設が始まった。山頂部を平坦にし、広場やいくつかのピラミッド群、基壇、貯水・下水施設が造られ、BC100年頃には1~2万人の人口を抱える都市に発展した。

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神殿の復元模型。
メソアメリカで最初の国家が誕生したのはBC100~AD200年頃とされ、サポテカ王国が成立していく。その後古典期前期(200~500年)にテオティワカンと交易や外交関係を密接にして絶頂期を迎える。その繁栄は古典期後期(500~750年)まで続くが、この時期の終わり頃に衰退した。
 
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陶器。オルメカ・マヤの影響が見られる。哺乳類動物のモチーフは豊穣祈願とされる。
 
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踊る人。BC300~100年前頃に、基壇建築の石壁面に彫られた。戦争捕虜やモンテ・アルバンの指導者の男性像が等身大で彫刻されたものであり、その左下にはサポテカ人で人物名を示す暦の数字や出来事が刻まれた。
 
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104号墳墓。山頂の北西地域にある。500年頃の墳墓。墳墓の壁にはジャガーなどサポテコの神をテーマにしたレリーフが施されている。
 
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ミシュテカ及びその影響を受けたサポテカの金銀細工。14~15世紀頃になると、アステカの圧力を背景にミシュテカ人がサポテカ人を圧迫して、オアハカ盆地の大半に進出すると、サポテカ人はオアハカ盆地南部に勢力を移転し、モンテ・アルバンはミシュテカ人の墳墓として利用されることになった。
山頂北東部にある第7号墳墓からは貴人と従者の遺骸が、数百点の宝石や金銀の財宝とともに発見された。
胸飾りにはパナマやコスタリカの影響がみられる。
 
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ミシュテカ及びその影響を受けたサポテカの金銀細工。
 
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ミシュテカ及びその影響を受けたサポテカの金銀細工。
 
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ミシュテカ及びその影響を受けたサポテカの金銀細工。
 
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ミシュテカ及びその影響を受けたサポテカの金銀細工。
 
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ミシュテカ及びその影響を受けたサポテカの金銀細工。
 
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ミシュテカ及びその影響を受けたサポテカの金銀細工。
 
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ミシュテカ及びその影響を受けたサポテカの金銀細工。
 
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モザイクの仮面と石盤。

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