チャプルテペック城と英雄少年記念塔。メキシコシティ。2014年11月11日(火)。国立人類学博物館を見学後、同じ地区にある近代美術館とチャプルテペック城の見学をめざし、まず近代美術館へ向かった。大通りを横断して、美術館の門をくぐり、玄関で城の入場時間をふと確認すると、16時までで、17時閉館となっていた。すでに15時頃だったので、美術館を見学したら間に合わないと思い、先にチャプルテペック城へ向かうことにした。実際には16時過ぎにも城への坂道を登る人はいたのだが。
近代美術館の西横から城の入口までの園路は露店が多く賑わっていた。城は右上に見えるので、方角はよく分かる。かなりの比高差がある、バスも運転されているが頻発していないので、徒歩で坂道を登ることにした。麓から少し登ったところに、荷物預かりがあるが、無視して登った。標高2200mを超しており、人類博物館で4時間歩いたあとで息苦しかったが、10分ほどで何とか登りきった。と同時に、バスが通りこしていった。
チャプルテペック城から西の入場口方向を見下ろす。
入場料59ペソ。入口で荷物チェックがあり、「アグアは駄目」と言われたので、500ccのペットボトル半分ほどの水を飲みほしてペットボトルを捨てた。帰るときに、欧米人の娘が私と同じようにペットボトルを飲んでいたので、苦笑した。麓の荷物預かりに食べ物・飲料を預けることが望ましいらしい。
チャプルテペック城といっても本格的なヨーロッパの城とは違うので、見学するか迷った。しかし、メキシコの近代史において、特にアメリカとの関係において重要な場所であることに、のちに気づいた。しかし、チャプルテペック城というネーミングはどうかと思う。チャプルテペック宮殿の方が観光客を引き付けると思う。
フランス革命後、スペイン本国が動揺し、メキシコでも1810年にイダルゴ神父が蜂起して、メキシコ独立戦争がはじまり、1821年にメキシコは独立した。1833年以降、カウディーリョ(軍閥)の一人サンタアナが断続的に大統領を務める時代となった。
一方、アメリカは当時メキシコ領だったテキサスなどへの領土的野心を持っていた。1820年代からテキサスへアメリカ人が入植しはじめ、30年代にはテキサスの住民の多くはアメリカ人になってしまった。1835年にサンタアナが中央集権体制を規定した基本法を公布すると、テキサスの住民が独立を宣言したため、1836年サンタアナの率いるメキシコ軍はテキサスのアラモ砦を陥落させる。しかし、結果的にテキサスはメキシコから独立してテキサス共和国となった。
1845年にアメリカがテキサス編入を布告すると、翌年5月から両国は戦争状態に陥った。アメリカ軍はメキシコ北部、メキシコ領カリフォルニアから進撃、メキシコ湾ベラクルスに上陸した一隊はハラパ近郊でサンタアナ軍を包囲し、1847年9月にアメリカ軍はメキシコシティを占領した。
この首都における攻防戦は最後に陸軍士官学校のあったチャプルテペックの丘で繰り広げられ、10代の士官学校の生徒6人が最後まで戦って死んだ事件は「英雄少年」の物語として教科書で教えられ、記念碑の前では毎年メキシコ大統領が参拝する国家的行事が行われているという。
1848年の条約により、メキシコは旧領土の約半分に相当するテキサスからカリフォルニアにいたる北部領土を割譲した。。この敗戦と領土喪失はメキシコ人に深い反米感情を植え付けた。
「英雄少年記念塔」というのは、士官学校生徒殉職碑というか白虎隊の記念碑のようなもので、6人を表す6本の柱が立っている。
チャプルテペック城から見下ろす風景。
チャプルテペック公園の森に立つ英雄少年記念塔の先には、メインストリートのレフォルマ大通り・独立記念塔が真正面に見え、メキシコシティが一望できる。
スペイン人がアステカ王国を倒すまでは眼前に広大なテスココ湖が広がっていた。
アステカ王国の支配部族となった本来は北方の狩猟部族であるメシカ族が1276年にメキシコ盆地に到達したとき、1325年に、テスココ湖中の小島テノチティトランへ移住する前、最初に住んだのが、このチャプルテペックの地であった。
アステカ王国時代には王の避暑地であったチャプルテペックはバッタの丘という意味である。
チャプルテペック城の建築模型。
1785年スペイン副王の夏の別荘として建築が始まり、メキシコ革命後、陸軍士官学校や、天体観測所として使用された。その後、フランス侵略戦争により、1864年から3年間のフランスの統治時代マキシミリアン皇帝がメキシコへやってきて、この建物を自身の住まいとして増改築して華麗な王宮に改装した。その後は1939年まで大統領官邸として使用され、1944年に国立歴史博物館としてオープンした。
チャプルテペック城と西側の噴水。ベルサイユ風の庭園がある。
チャプルテペック城から眺める北西側の風景。池と動物園があり、賑やかな歓声が聞こえてきた。その先には人類学博物館があり、その向こうにはポランコ地区の高級ホテルなどのビル街がある、
チャプルテペック城から眺める東側の風景。運が良ければ、ポポカテペトル山に連なる高峰群を眺められるらしい。
チャプルテペック城から眺める北側の風景。