本日から21日まで、マヤ・オアハカ方面への遺跡見学となる。空路カンクンへ行き、バスでメキシコシティまで戻った。
午前中、メキシコシティの三文化広場を見学後、宿のサンフェルナンド館へ戻り、荷物を持ってイダルゴ駅のバス停へ向かった。宿の女主人は空港と反対側のバスに乗れと言ったが、様子がおかしいので空港方面行きのバス停へ移動。近くの人に尋ねると空港行きはこちらからでいいという。ただ、15分ほど待っても来ないなと思っていると、ようやく空港行きのバスが来た。運賃が高いので乗る人は少ない。
空港はターミナルが二つあり、かなり離れている。バスの運転手にボラリスの予約メールを見せて確認後、下車。ボラリス航空はネットで3か月前に予約した。1437ペソ。窓口に行くと、搭乗券を自分で発券しろといわれ、あっちだといわれるが、なかなか見つからず。ようやく発券機に着いても、方法が分からなかったが、女性職員に頼むと操作をアシストしてくれた。
出発予定の13時50分を20分ほど遅れて離陸。カンクン空港に16時10分に着陸。空港のカウンターで市内までのバス券を購入。ADOアデオのバスでコール名はこれから10日間ほど飽きるように聴くことになった。
カンクンの宿は海岸側のホテルゾーンでなく、ダウンタウンの日本人宿にした。いまさらビーチリゾートに興味はないし、世界共通の規格で高いだけだ。宿は「カサ吉田」。シングルルームで1泊375ペソ。セントロのバスターミナルに着いたのは18時前で暗くなりかけていた。そこから、南東方向へ道路を無理して横切ったため、全く道に迷ってしまった。本当はいったん反対方向の北側に歩いて、マクドナルドまで道路を横断すればよかったのだが。山本という和食店が目印になり、何とか住宅街にある普通の住宅風のカサ吉田に辿り着くことができた。
英語を話す女主人に宿代を払い、靴箱に靴を入れて階段を上がり部屋へ入った。18時30分になっても、宿泊客はまだ帰ってこない。
自炊用のスパゲティを持参してはいるが、海に近いのでシーフードを食べることにした。「歩き方」に載っている「アルタマル」へ行くことにした。宿からは徒歩15分ほどで着いた。
シーフードレストラン「アルタマル」。
イカ、エビのフリット。味は日本と変わらない。201ペソとチップ25ペソ。
トゥルム遺跡への取り付き道路。
11月14日(金)。翌日にチチェン・イツァー遺跡経由でメリダまで行くので、本日はカンクン周辺の遺跡などを回った。カンクンのバスセンターから2時間半ほどバスに乗り、10時30分頃に国道沿いのトゥルム遺跡取り付き道路入口に到着。運賃は130ペソ。
トゥルム遺跡のチケット売り場まで1km弱、シャトルバスもあるが、頻発していないので歩いたほうが早い。歩く人も多い。
トゥルム遺跡。入口の門。
石造の防御璧に門が開けられている。カリブ海に面した風光明媚な城壁都市であったトゥルム遺跡はマヤ文明終焉期・後古典期後期(13~16世紀)の遺跡である。1518年にコルテスより以前のスペイン人がユカタン半島を偵察に来て、海岸に聳えたつ石造の要塞都市を見て驚いたという。
この時期はユカタン半島低地北部のマヤパンを政治同盟の首都とし、トゥルム、コスメル島などのマヤ人は広範な海上遠距離交易に関与していた。
15世紀半ばにマヤパンが衰退すると、マヤ低地北部は16の小王国が群雄割拠することになり、頻繁に戦争が行われた。弓矢が重要な武器になり、都市は敵の襲撃に備えて石造の防御璧に囲まれて設計された。
トゥルムの町は推定で1000から1600の人口を有していた。16世紀前半にスペイン人と接触するまで、トゥルムは繁栄を続けていたが、16世紀末までには完全に放棄された。
トゥルム遺跡。入口付近の石造防御璧。
トゥルムは断崖絶壁である海辺以外の三方を城壁で囲った。城壁の出入り口は5カ所しかないほど、ガードされていた。城壁の手前には濠も見られる。
トゥルムは、急な海食崖を背にする一方で、陸側の3面を平均でおよそ3~5メートル高さの壁で囲い守りを固めていた。壁は、およそ8メートルの厚さと海と平行して南北に400メートルの長さを持ち、東西にわたる壁は、南北より若干短く片側170メートルある。
元々は一部屋の小さな建物だったが、増築された1階部分にさらに2階を増築した。フレスコ画の神殿は、太陽の動きを追うための観測所として使われていたという。
フレスコ画の神殿。復元図。
下層のギャラリーと2階のギャラリーにフレスコ画壁面を持つ。実際には、彫刻なども磨滅していてよく分からない。
紺碧の海が素晴らしい。感動した。
階段を下り、ビーチへ向かう。
トゥルム遺跡のビーチ。
トリップアドバイザー推奨のビーチ。階段近くの岩場で服を脱いで海に入る人が多い。
エルカスティージョ。中央神殿。
高さは7.5メートルあり、トゥルム遺跡では最大の建築物。神殿内部には以前の神殿二つが存在する。階段上部の柱にはヘビのモチーフが刻まれている。
エルカスティージョ北のビーチと風の神殿。
ビーチは貿易港として使われ、カヌーが出入りしていた。
エルカスティージョ北のビーチ。
現在はカメの産卵場として保護されている。
風の神殿。
断崖の縁に立つ神殿は海側の出入りを監視する役割を担っていた。
セノーテの家。
地下にセノーテを備えた家の跡。石灰岩でできたセノーテは雨を貯水していた。
12時30分頃、南の出入り口から外へ出た。往路を国道まで歩く。国道のバス停小屋で次のプラヤ・デル・カルメン行きのバス時刻を尋ねると、1時間以上あとだった。
近くに10人乗りのミニバスが客引きをしていた。これしかないので、席に着いた。運転手がまだ、通行人を呼び止めて、客を集めていたら、乗客が怒りだしたので、出発した。運賃40ペソ。
ポラドーレス。プラヤ・デル・カルメン。ソカロ広場。
トゥルムから1時間30分ほどで、プラヤ・デル・カルメンの町中にあるミニバス乗り場に到着。海方向へ歩き、まっすぐビーチへ向かって歩いた。ビーチでは寛いでいる人が多くいた。シーフードレストランで食べようとも思ったが時間が中途半端なのでやめた。コスメル島行きフェリーの桟橋方面へ向かうと、ソカロの公園に多くの人が座っていた。何かと思い、公園の中心を見ると、柱の上に人が待機していた。これがポラドーレスかと思い、見ることにした。
柱の上の男が笛と太鼓で音楽を奏でるものの、音もなく静かに舞い降りてくるという感じで、華やかさはない。確かに鷲が舞い降りて人間の心臓を狙うという感じだった。
各地で開催されているポラドーレスを実際に見たのはこれ限りになってしまったので、良い機会となった。なかなか、こちらの都合に合わせてやってくれるわけではないので。
プラヤ・デル・カルメン。コスメル島行きフェリー桟橋。
コスメル島は見えないのか、と目を凝らすと高いビルが数本立っているのが見えた。島自体は平坦なので見えない。
プラヤ・デル・カルメン。フェリー桟橋横のビーチ。
パブリックビーチのようで、気軽に楽しめる雰囲気があった。ヨーロッパ人旅行者にはカンクンよりも人気があるということは理解できる手頃な町であった。
旧バスターミナルからバスに乗り、カンクンのセントロ・バスターミナルへ帰った。
カンクンのホテルゾーーン。
セントロからバスに乗り、アクアワールドまで往復した。1乗車9.5ペソ。内陸にラグーンがあり、夕暮れ時で雰囲気は良かった。リゾートは世界どこへ行っても似たようなものだ。
セントロのカサ吉田へ帰り、スパゲティを自炊して夕食とした。ハバナへ行くという日本人青年と話をした。前夜は女の子に観光の様子を尋ねた。
翌日はチチェン・イツァー遺跡経由でメリダまで。