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世界遺産エル・タヒン遺跡 メキシコ アクセスと付設博物館 その1

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世界遺産エル・タヒン遺跡。ベラクルス州。幹線道路バス停からのアクセス道入口。2014年11月21日(金)。
112016時に州都ハラパのバスターミナルを出て、世界遺産エル・タヒンの最寄都市であるパパントラへ向かった。宿は数か月前に「カサ・ブランチ」を予約していた。ハラパからは南東のベラクルス方向へ戻るように進んだようで、その後メキシコ湾岸カリブ海が見える海岸道路を進んで行くうちに日が暮れた。バスの終点は不明で、途中のバス停の案内はない。陸側に入り20時ぐらいから二つの小規模なバスターミナルを経由したが、ヤードは狭く、乗降客も少ない。21時頃にカーブのある峠を越えると、市街地に入り、ひどい渋滞になった。2140分頃、ようやく大規模な終点のバスターミナルに着いたので、翌日のメキシコ・シティー行きのバスの乗車券を購入しようと窓口に行ったら、ここはポサ・リカだといわれて驚いた。先ほどの小さいバス停がパパントラだったのだ。久しぶりに乗り過ごしてしまった。

パパントラに宿を予約しているので、戻ることにした。バスの時刻を尋ねると、遅い時刻だったので、仕方なくタクシーを使うことにした。30分程度の距離だが、交渉して200ペソで行ってもらうことにした。ハラパからパパントラまでのバスは268ペソ。宿代は300ペソ。随分余分な出費になった。パパントラへ着いた。歩き方の地図では幹線道路からすぐの筈だったが、運転手に捜し回ってもらい、23時近くになって、上り坂の狭い路地にある「カサ・ブランチ」をようやく見つけた。この手のホテルにありがちなのだが、受付は閉まった門の奥にあり、ベルもないので、入れない。数軒離れた軒先に3人ほどの子供がいたので、困ったと報せると、一人が付いてきてくれて、大声で怒鳴ると、中からホテルの人が出てきて、ようやく宿泊できることになった。
 
11月21日。ホテルに荷物をデポして、エル・タヒン遺跡へ向かう。ホテルで歩き方に書いてあるバス乗り場の位置を尋ねたら、そこではなく、カテドラルの裏からバスが出ていると教えてくれた。昨夜通過したバスターミナルの位置も分からず、南北を逆に感じてしまう。南の高台めざして道路を登っていくと、人々で賑やかな公園に出た。ここがソカロだとは思わなかった。さらに教会の裏へ階段を登っていくと、市場との間にバス停があった。待っている客にエル・タヒンと尋ねておいたら、10分ほど後にバスが来たときに、それだと教えてくれた。

バスはカーブを繰り返して坂を登り、高原の平坦地をしばらく行くと、運転手にここで降りろといわれた。幹線道路沿いのバス停の右には、遺跡入口の門柱とレリーフがあって、畑の中に車道が続いており、10分余り歩くと、9時30分頃に入口広場が見えてきた。
 
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エル・タヒン遺跡。入口広場。広場のまわりには土産屋が並ぶ。
 
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エル・タヒン遺跡。ボラドーレスのポール。トトナカ人の伝統芸能で、柱の頂上から4人の人間が回りながら下りてくる宗教儀式。11時30分頃帰るときに、衣装を着た人が準備していたので、12時から公演があったのかもしれない。
 
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エル・タヒン遺跡の復元図。
遺跡入口の横に付設博物館があるので、遺跡の先に見学することにした。
エル・タヒンは、テオティワカンやパレンケが衰退に向かう600年頃から居住が始まり、1200年頃まで繁栄した古代都市遺跡である。最盛期は800年頃から1150年頃で人口は2万人と推定されている。り、世界遺産に登録されている考古遺跡の一つである。
エル・タヒンという名称は、タヒンと呼ばれる12人の老人がこの遺跡に住んでおり、彼らは雷雨の神であるという地元のトトナカ族の神話伝承に由来している。現在トトナカ人が近隣に住んでいるためトトナカ人の建てた都市とされてきたが最近の研究の成果に伴いマヤ族と遠い血縁関係のあるワステカ人によって建設されたものではないかという説が有力になりつつある。
 
復元図の左が南で右が北で高くなっている。左の入口から遺跡へ入ると、アローヨ広場があり、球戯場やピラミッドが続く。南地区の北端に有名な壁龕のピラミッドがある。遊歩道から北地区へ登るとタヒンチコ広場があり、石柱殿のある高台の一段下のテラスに至る。復元図の三分の二を占める右半分の北地区のほとんどは、まだ埋もれた状態で見学できる区域は狭い。
 
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空撮写真。
北から南への方向。手前中央が壁龕のピラミッド。その左に北の球戯場。右に、南の球戯場。中央上部がアローヨ広場。その上に遺跡入口がある。
 
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遺跡の現状ジオラマ。
入口の南方向から眺めている。復元図では左の南地区が手前にある。広場、ピラミッドや球戯場が密集しており、広大な面積と感じられる。上部の北地区は未修復の地域が多いため、見学可能域は狭い。
帰りに右側の遊歩道を歩くと、左側に川の流れを見ることが出来る。
 
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浮彫のレリーフ。壁龕のピラミッド。
眼の周りに逆さになった二つの顏があり、その顔の間には動物の顔をした人間が見えている。その人間はケツァルコアトルの双子で、両目を失ったショロトル(Xolotl)神と関連がある。
 
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浅浮彫の壁装飾。
9001200年。砂岩。円形の耳覆いを運ぶ頭蓋骨の頭部が描かれている。半開きの口からは、緑石の数珠玉で装飾された言葉が渦巻き文様として描かれている。
 
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浅浮彫の壁装飾。
9001200年。砂岩。羽根飾りを着けた人間と犬。
 
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浅浮彫の壁装飾。
9001200年。砂岩。

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