世界遺産エル・タヒン遺跡。南入口からアローヨ広場へ向かう。ベラクルス州。2014年11月21日(金)。
アローヨ広場を四方に囲むピラミッド群へ入っていく。
バニラはおそらく主要な交易品の一つであったろう。現代においてもトトナカ人居住地は優良なバニラの産地である。
ごく初期の建造物複合体であるこの広場には2か所の球戯場が付設された。
建造物23に西隣して建造物3が並ぶ。左は建造物15。
ピラミッドがこれだけ隣接して並んでいる遺跡は珍しい。壮観である。
高校生の団体が来ていた。
正面は建造物5。
エル・タヒンの建築物は、もともとは塗色されており、ほかには装飾として壁画、レリーフが施されている。たいていは赤く建物を塗っていたが、建造物3にみられるように青を全体に塗ったり、部分的に青や黄色が使われることもあった。そのほかには幾何学的な文様や壁龕を強調する場合に、色を対照的に使い分けていることがある。
ピラミッドの基礎には重要な彫像が投げ捨てられていたが、トトナカ人たちはそれを雷と稲妻の神タヒンであると言い伝えており、この古代都市の名の由来となった。
球戯は人々が豊富な雨水による豊穣を祈願する儀式であった。
エル・タヒンには17の球戯場が確認されている。最大の南の球戯場以外は平面がI字型であり、南の球戯場の例外的な重要性がうかがわれる。また、他の球戯場と違い斜面がなく、逆にエル・タヒンの終末期には観客席が造られた。
4人の人物が刻まれている。右から2人目の人物は、3番目の人物を生贄にしようとナイフを胸につきたてている。右から4番目の人物は、生贄にされようとしている人物の腕を掴んで押えている。犠牲にされようとしている人物の上には死神とおもわれる骸骨のような人物が待ち構えている。右から一番目の人物は、雨の神と考えられている。
座って向かい合っている人物と左側を向いて立っている人物の3人が刻まれている。左側の人物は3本の矢か槍のようなものを持って座り、中央に立っている人物にその武器を渡すか、受け取ったかのようなしぐさをしている。右側の人物は、座って半分手を挙げるようなしぐさをしている。手のひらは中央の人物へ向けられている。「戦争と捕虜の捕獲の準備」の場面とされる。
楽器を持って向かい合った人物と鳥類に扮装した人物、中央の台に横たわった人物、骸骨か死神のような空を飛んでいる人物が刻まれている。
左側の人物は2つのマラカスのような楽器を持ち、右側の人物は、棒で打ちならすタイプの打楽器、おそらく亀の甲羅を加工した木魚のような楽器を持っている。
鳥に扮装した人物は、横たわった人物の台の後ろ側に立っていると思われる。
球戯の前に幻覚誘発剤によって幻覚状態が起こっている場面とされる。
6~7世紀頃の建造物。6段の基壇を持ち、現在高さ20mが残存している。建造時の古典期中期から後期の段階ではもっと高く、25mの高さと推定され、全体的に赤く塗られていて欄干部分は青く塗られていたと考えられている。
現在は失われている基壇の上にはもともと神殿がありその壁龕の数と基壇のタブレロ部分の壁龕の数、さらに入り口部分の壁龕の数を加えると365になり、ちょうど1年の日数に相当する。
それぞれの壁龕は、太陽暦の特定の日を表していたと考えられ、それぞれの日に宗教的な意味合いがあるために象徴的に赤や青などの色で塗り分けられ、神像が置かれていたていたと考えられている。
内面、外面及び階段全体は漆喰画法や乾いた石膏に色を塗る技術によって多彩色な壁画で彩られていた。
正面の階段は、後年に付け足された装飾用のもの。5列の壁龕が小部屋のように付き、両側には渦巻き状のモザイクが施されている。
壁がんのピラミッドの南隣にある。二段の基壇の上に二つの神殿を頂く特徴的な建造物。一段目の低い基壇の上にはタヒン神とよばれる三角柱状の浅浮彫の死神の石彫が立つ。
エル・タヒンでは建造物を装飾する雷文形の模様の石彫も特徴の一つである。
南地区から高台の北地区へ向かうため、いったん東側へ回り込んで遊歩道を登って、タヒン・チコへ近づいていく。