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メキシコ・シティ フリーダ・カーロ博物館 その7 新発見のドレス、医療用コルセット

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遺品展示室。
フリーダ・カーロ博物館。2014年11月23日(日)。メキシコ・シティ。
中庭の奥にある別棟。フリーダ・カーロの自画像に描かれた医療用コルセットの実物を見ることができて感動した。
 
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隠し部屋から発見されたフリーダの衣裳展。
案内看板。
20044月に2階の浴室から約300点のフリーダの衣裳、宝石、薬、整形外科用器具などが50年余りの時を経て発見された。
展示は5室にわたり、フリーダのファッションスタイルがポール・ゴルティエ、ダイ・リーズ、コム・デ・ギャルソン、リカルド・ティッシらに与えた影響を感じ取れるであろう。
 
フリーダは6歳のときに小児麻痺に罹患した。右足の上部に痛みを感じ、結果的に右足が委縮し短くなってしまった。そのため長いスカートを着け、ふくらはぎには3・4足の靴下を履き、右側の靴の踵を高くした。
1925917日、18歳のときの交通事故で重傷を負った。バスの手すりが彼女の左側から腹部と子宮を貫通した。鎖骨、脊柱、右足を骨折した。
事故以後の日常生活ではギプス、コルセットをロングスカートに縛りつけて着用した。
下半身への衆目の関心をそらせる意図のため、オアハカ出身の母親の伝統的な遺産であるテワナの民族衣をの着用し、かつ上半身を豪華に飾ることに意を注いだとみられる。
 
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松葉杖。
1954年頃。小児麻痺後遺症患者用。
ジュエット型背面装具。背板、胸板が付属。
 
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石膏製コルセット。
1941年頃。フリーダによる装飾。
硬革製コルセット。留め金、締め紐付き。
石膏製コルセット。1954年頃。患者の身体に合わせた手造りのもの。擦り抵抗付きの留め金が付く。蜜蝋で強くした麻糸をピタとよばれる手法で手縫いしている。
 
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テイラー型の短いコルセット。革と留め金。
背面装具。1940年代。
金属製脚部補綴装具。赤革の靴には中国風のモチーフが刺繍されている。二つの金属製ベルトは紅色のリボンにより吊られている。1953年。
 
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フリーダ。
6歳。1913年。
 
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素描。
 
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フリーダが着用した民族衣装。
フリーダにとってテワナ衣装は彼女の身体的欠陥を隠すためのものだけでなく、彼女に溶け込む第二の皮膚のようなものであった。
テワナ衣装はメキシコオアハカ州南東部太平洋岸付近のテワンテペック地方の伝統的衣装である。
この地方は母系制社会で、女性が権力を握っており、衣装は女性が持つ力と独立性の象徴であった。
ディエゴ・リベラがこの地方を旅行したとき、独立心が強く誇り高いサポテカ族の女性たちの美しさに心を打たれ、その思い出を繰り返し語ったといい、フリーダがそのイメージに合わせてテワナ衣装を着用したという。
しかし、ディエゴへの愛の証に着用したという点だけでなく、フリーダが伝統と現代を融合してスタイリッシュな衣装を編み出した点にも注目すべきであろう。
フリーダは衣服の記号論的な性質を理解していた。衣服は隠喩的な伝達手段であり。それは見た者にとっては容易に分かるものである。
フリーダの伝統衣装の着用は彼女のアイデンティティを強めるもの、政治的信条を再確認するものであり、身体的欠陥を隠すものでもあった。
 
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フリーダが着用した民族衣装。
 
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母方家族の集合写真。発見された写真の一つ。
1890年撮影。
フリーダの母親マティルデ・カルデロンが7歳のときの母方家族との集合写真には伝統的なテワナドレスが見られる。
 
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黒いサテンのブラウス。レースの襟飾り。サテンのスカート。
1946年頃。コヨアカン。
 
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白い椅子に座るフリーダ。
ニューヨーク。1939年。ニコラス・ムライ撮影。
 
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テワナ衣装を着たフリーダ。
1942年.コヨアカンにて。ベルナール・シルバースタイン撮影。
輪状飾り、黄色のスカート、花模様のプリント布地、、ひだを付けたレース編みの亜麻布の裾回り、、縞模様のエプロン、カンバヤ生地の縁飾り。
テワナ衣装の一つ。特別な行事やお祭りのときに着用される。昔は洗礼式に使用された。フリーダは処女の純潔性を象徴するために、この衣装を着用した自画像を頻繁に描いている。

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