フリーダ・カーロ博物館。2014年11月23日(日)。メキシコ・シティ。
フリーダが彼女のサイン代わりとしてテワナドレスを好んだのは、彼女のアイデンティティ、伝統文化の継承、政治的信条を示すためであった。彼女の衣裳はオアハカやその他の地方の伝統衣装が多く、そのほかにはガテマラや中国の衣裳、欧米のブラウスもあった。
彼女はこれらを組み合わせて使った。好きな色は赤、緑、青、黒、白であった。
ウイピル。ナワトル語でシャツの意味。短くゆるやかなチュニック。2つないし3つの長方形の布地を縫い合わせてできている。装飾されたリボンが付き、首や腕の部分に開口部がある。
短い布地なのでフリーダの身長を高く見せる効果があった。
エナグア。長いスカート。腰回りにフリルの飾り付き。
編んだ髪、高い位置での装飾、花飾りは実物、紙、絹でできている。
フリーダはボヘミアン的な芸術家の典型として、そのユニークさ、反抗心、矛盾さがフェミニスト、芸術家、ファッション・デザイナーの関心を集め、カルト的存在に祭り上げられていった。
彼女の謎めいたコケティッシュな眼差しはメキシコ国内はもとよりサンフランシスコ、ニューヨーク、パリにまでセンセーションを巻き起こした。トレードマークであるつながった眉毛と明るく大胆なテワナドレスは現代のアイコンとよぶにふさわしいものであった。
作家のカルロス・フエンテスの証言によれば、フリーダが大劇場のベジャス・アルテス宮殿へ向かうと、彼女の身に付けた宝石が到着を告げ、彼女の存在により劇場内部の造作や壁画の豪華さが際立ち、コンサートの音楽も素晴らしさを増すように感じたという。
フリーダは衣装の選択に特別に力を入れ、最も美しいシルクの服、レース、ショール、スカートを選び、頭の先から爪の先までスタイリッシュさを心掛けていた。
フリーダにとってファッション誌「ヴォーグ」に最初に取り上げられた1937年10月がファッションの世界への飛躍的なステップとなった。
1939年にアンドレ・ブルトンがパリでフリーダの最初の個展を開くと、メキシコ趣味とテワナドレスはたちまちヨーロッパの上流階層の間で熱狂的な話題となる。当時のスターデザイナーであったエルザ・シャパレリが彼女に敬意を表して「リベラ夫人のドレス」を制作したほどであった。
コム・デ・ギャルソン。川久保玲。ブラウス、スカート。テトロンのレース。シルク、サテン、レーヨン生地。バードケージスカート。ナイロン・トリコット製コルセット。2012年春・夏。
ジャン・ポール・ゴルティエ。
「そばかす」。整形外科用コルセット。サーモン生地。短いドレス、シルクのフリル、茶色のそばかす模様付き。2004年春・夏。
コルセットはフリーダにとり医療用器具であった一面、反抗心の対象でもあった。身体障碍者の装具というより、彼女にとっては装飾の対象であり、魅力を引き立たせるものとなった。
ダイ・リース(デザイナー)。
コルセット・ボディス(ベスト)。革と蝋付けしたコットン製。温めた革を手で整型。
オルガンサ・スカート。
ダイ・リース(デザイナー)。
川久保玲、ダイ・リース、ジャン・ポール・ゴルティエはフリーダのポスト・モダンでアヴァンギャルドなコルセットのイメージを念頭において、ファッションと医療装具の両面性を備える作品をデザインしている。ゴルティエはバーレスクなエキゾティズムを、川久保は宗教的な含意、リースは人間の解剖学的な面に焦点を当てて創作している。
伝統的要素として、レース、花、白色をモチーフにして制作された。
ジャンプ・スーツ。
ロングドレス。山羊革のジャケット。
2010年秋・冬。ジバンシーのオート・クチュール。
ジャケットは鳩の翼の姿をしている。
2時間近く見学した。日曜日の午後とあって、入館待ちの行列は200mほど連なっていた。
近くにあるレオン・トロツキー博物館へと向かった。