2014年12月1日(月)。
太陽のピラミッドから南に沿った歩道を進み、シティオ博物館へ向かった。
シティオ博物館には膨大な出土品が展示されている。
ゲレーロ州からは緑の石。オアハカ州からは雲母、アラバスター。イダルゴ州からは黒曜石、石灰岩。ケレタロ州からは鉱物性色素。貝類はメキシコ湾、カリブ海、太平洋沿岸。
パトラチケ期。(BC100年~AD1世紀)。テオティワカンの最初期。
中央高原からの移住者である5000人の人々がいくつかの集落に住み始めた。
ツァクアリ期に都市化が始まる。南北の軸と東西の軸が形成された。死者の道が輪郭を表し、太陽のピラミッド、月のピラミッドの建設が始まった。面積は17㎢、人口は3万人であった。
宗教儀式のために専門化した職人や国際的な製品の存在が顕著になった。
南部のケツァルコアトルの神殿と城砦、大規模な集合住宅、月の広場が建設された。太陽のピラミッドの建設は続いていた。面積は22.5k㎡、人口は4万5千人。
宗教儀式用のミニチュアの製作が盛んになった。
都市の建造物が重層的に建てられていった。建造物のすべての面は多彩色で塗られ、豪華な壁画で装飾された。
都市面積は増加せず、人口は6万5千になった。
大型で完成度の高い土器・陶器が製作され、メソアメリカ各地に重要な影響を及ぼした。
貯水用・穀物用陶製容器が、個人住宅で使用された。
テオティワカン文化がメソアメリカ各地へ伝播した。
メテペック期。650~750年。
他地域の文化製品が現れ、芸術的作品は衰退した。
メテペック期には都市の衰退が始まる。火災や略奪の形跡がみられる。闘争が始まり、テオティワカン文化の終末に近づく。中央高原からの移民の集落が近隣に建設された。
面積は20㎢で。人口は7万人から数千人に減少した。
中央高原の諸部族はテオティワカン遺跡を聖地として崇敬した。彼らは太陽のピラミッド付近に住み、農耕をして暮らした。