2014年12月1日(月)。
テオティワカンは「神々の集う場所」という意味で、廃墟となったこの地を発見したアステカ人が、神殿の壮大さに驚嘆し、神々が集まり太陽と月を創造した聖地と考え、こう名付けたという。都の中央を、幅40m、長さ約5kmの「死者の大通り」が南北に貫き、その周辺に「太陽のピラミッド」や「月のピラミッド」など600基近いピラミッドや宮殿、住居などが整然と建ち並んでいる。
テオティワカンの人々は、死体を毛布などで包み、二つ折りの姿勢に固定した。この葬制は、死は生命体の他への転移にすぎないと信じていたメソアメリカ人たちの再生神話に基づいている。
大量の辰砂(丹)を死者に覆い被せ、死体への色素沈着をおこなった。
墓への埋葬は一般的ではなかったが、都市東側のオアハカ人住居区において発見されており、モンテ・アルバンの墓制との共通性が見られる。石壁で区画され、陶製、黒曜石製、貝製の装飾品が副葬されている。人身犠牲や斬首のあとも発見されている。
9人の遺体は豪華な衣装、貝製ネックレスなどの装飾品を身に着けていた。推測によれば、260人の死体が人身犠牲とされていたとされる。
中庭の祭壇。内部に10~14歳の子供が屈葬されていた。
トラロックはぎょろ目(ゴーグル)、牙をもつ。また、五つの角がある星型文様とも関連する。
ケツァルコアトルの神殿への供え物。放射性元素測定によればAD70年ごろ。テオティワカン遺跡から出土した現在唯一の木製品。
小さい仮面は火鉢のアップリケとして使用された。
シティオ博物館を30分ほど見学。月のピラミッドへ向かう。