平成27年11月12日(木)。和歌山県田辺市。
熊野古道・中辺路の滝尻王子を9時30分に出発し、高原霧の里休憩所で一休みしたのち、11時15分頃に近露王子へ向けて歩き出した。旧旅籠通りを抜けるあたりには、「これより4時間人家なし」の看板がある。近露までは高原集落までと違って、見かけた人間の数は少なかった。坂道を登ると、一里塚跡があり、東屋がある。
道の右側に沿って大きな池がある。知らなかったので驚いた。魚もいる。谷筋に水が集まってできた感じだった。この辺りで下ってくる熟年男性と対向した。
大きな鳥居があったという。
左右に杉の木が続く。樹齢が若いので、近年の植林か。
12時20分頃到着。休憩地点。ベンチで3人の女性が食事をしていた。立派なトイレ小屋に寄る。着く直前に、派手な服装の男女2人が出ていくのを見て気になった。スニーカーズを食べて昼食とし、粉末ポカリを水で飲み、10分ほど過ごしたのち、出発。
江戸時代に小判を口に加えて、行き倒れた人の供養碑。このあたり、山腹の巻道で、道が狭く、右は崖になっている。
こんな山上に住んでいたとは信じられない。
標高600m。中辺路で標高が最も高い地点。
フランス語の会話に近づいた。十丈王子で見かけた男女であった。派手な服装だったので、若者かと思っていたが、中年だった。抜くときに、ボンジュールと挨拶し、ジュスィファティゲとつぶやいたら反応した。
自然現象として月が三つ並んで見えることはある。熊野信仰では、本宮、新宮、那智の三所権現が崇拝されるので、三という数字は神聖な数字となる。
説明板から少し下ると、林道に出た。近くにブルがいて工事をしていた。ここから九十九折の急下りなった。谷底に着くと、小川が流れ、大坂本王子に着く。
小川に沿って歩くと、車道が横にありトラックが走っていく。車道と接する地点に道の駅が目の前に見える。目指す牛馬童子はここからしばらく登らねばならない。
花山法皇が法華経と法衣を埋納したという。花山法皇が食事しようとしたところ、従者が箸を忘れたのでかたわらの茅を折って箸としたとき、茅の茎から血のような赤い露が落ちるのを見て、「これは血か露か」と尋ねた。これが近露の語源となったという。
宝篋印塔の裏側に牛馬童子像がある。
花山院の姿を刻んだものだが、明治時代に彫られた像という。かたわらには、役行者像が寄り添う。
高さ50㎝ほどと驚くほど小さい像であった。盗まれないかと心配になった。
ようやく終点に近づきほっとする。山間に開けた広い盆地で、近露王子の手前には日置川が流れている。
14時40分到着。近露は上皇たちの宿泊所であった。日置川で貴顕たちは身を清めたという。
大本教教主出口王仁三郎が揮毫した石碑で唯一現存するもの。村長が守ったという話がある。
近露では白人女性もいた。フランス人男女に出会うと、ここで泊るとのこと。
近くのバス停の時刻表を見ると、15時台のバスがない。喫茶店の人たちに尋ねると、数百m南のなかへち美術館から出ると分かった。
15時6分発のバスで15時30分頃滝尻バス停へ帰った。運賃730円。同じく美術館で乗車した40歳前後の男性も下車した。熟年女性2人組は野中一方杉から白浜空港までの運賃を尋ねていた。
熊野古道館に立ち寄ったあと、道の駅「牛馬童子」へ移動することにした。