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ペルー・チクラヨ シカン博物館 その6 シカンの金属生産技術

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銅鉱山での採鉱。シカン博物館。
201569日(火)。
シカンの金属製作技術の水準は高かった。砒素青銅など、農具や武具などの日常用の道具の材料となったものが発見されている。
砒素青銅の製造技法を復元できるような工房が、シカンの聖域に含まれるバタン・グランデ村のワカ・デル・プエブロ遺跡で確認されている。900年から1500年頃にあたる遺跡である。
 
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リャマでの運搬。
銅山は近くにあり、そこまでの道路が発見されており、リャマを荷役運搬に用い、原材料を工房まで運んだと考えられている。
 
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粉砕作業。有用な銅鉱石の選別作業。鉱山の近くで行われた。石の台はバタンとよばれ、重量は
200㎏から300㎏。鉱石や金属精製の過程でできる鉱滓を砕くための道具。チュンゴとよばれる揺り石とともに用いた。
 
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冶金の工程。溶解。製錬。火吹き筒による送風。
砒素青銅の製錬遺跡。日本の青銅は銅とスズとの合金だが、スズを産出しないペルー北海岸では砒素が使われた。中近東などの旧大陸においても、銅とスズの青銅が使われる前、砒素青銅が使われていたが、砒素青銅は堅さでも耐久性でもスズの青銅に劣らない。
バタン・グランデ村の南にあるセロ・ワリンガの青銅工場遺跡から、チムーがこの地を征服した600年前の溶鉱炉を発掘した。この溶鉱炉を用い、古代の砒素青銅精錬を再現した。地元でとれたアルガロボで作った良質な炭とふいごを知らなかった彼らが使った火吹き筒を用いて、地元産の銅鉱石と砒素鉱石を1000度から1100度に熱して溶かして、古代の青銅精錬工程を再現した。
 
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冶金工程の資料。
砒素青銅の製造では、まず鉱石を潰したあとに容器に入れて溶かす。そこに、銅や砒素、鉄を混ぜたものを加える。鉄は溶剤として働き、余分な成分を引き付け、砒素青銅を分離させる。こうした高温の加熱は、火力の強いアルガロボとよばれるマメ科の木を燃料とし、土製のパイプを付けた植物製チューブを通して空気を送り込むことで可能になった。
 
こうしてできた金くそには、純粋の砒素青銅の粒が含まれる。これを冷ましたあと、バタンとよばれる大きな石床の上に乗せ、チュンゴとよぶ石を揺り動かし、潰すことで砒素青銅を分離するのである。そして粒だけをインゴットとして取り出し、叩いてひたすら延ばすのである。45人が34時間作業すれば、300gから500gの砒素青銅が取り出せるという。
 
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製銅遺跡の発掘調査。古植物学及び地理学的調査。鉱山。鉱石の分析。実験考古学。
 
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「黄金の仮面」の成分解析図。
50%40%10%の合金。現在の基準で14金。
古代冶金学の専門家が分析した。
 
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金属精錬の再現模型。
バタン・グランデで栄えた文化は黄金だけでなく、大量の砒素青銅を生産し、北部ペルーを青銅時代に導いた。
 
ナイペとよばれる砒素青銅製品は、原材料の入手が困難な地域にも輸出されたことが考古学的にも証明されている。Iの字の形をした規格品なので、遠隔地で出土してもすぐに分かる。たとえばエクアドルでは、ナイペのことをアッチャ・モネーダ(斧の形をした貨幣)とよんでいるように、原材料としての利用だけでなく、貨幣として流通した可能性がある。シカンの聖域では金属製品が大量に製造され、副葬品として、あるいは輸出品として利用された。
 
長距離交易は墓の副葬品からもうかがうことができる。ウミギク貝やイモ貝は暖流が流れるエクアドル海域で採取されて輸入された。紫水晶や方ソーダ石の産地もエクアドル山中にあった。エメラルドはコロンビアからもたらされた可能性があり、シカンのエリートの威信財として入手された。
このように、シカンの広範な経済活動が推測される。
 
 
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金銀製品の製作技術。
 
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金銀製品の製作技術。
 
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金銀製の装飾品。

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