シカン博物館からトゥクメ遺跡へ向かう。
2015年6月9日(火)。
シカン博物館の見学を終え、トゥクメ遺跡へ向かった。ツアーバスはバイクに乗客席を付けた定番のモトタクシーを追い越していった。
トゥクメ遺跡付近の風景。
トゥクメ遺跡入口の看板。
トゥクメ遺跡入口。
入口に博物館があるが、ツアーでは見学せず。
トゥクメ遺跡。見学案内図。
左が北。中央の赤いルートを進む。左にワカ・ウノを見て、右側のセロ・プルガトリオ(煉獄の山)の中腹にあるミラドール(展望台)2か所へ登るコースを辿った。
点線のコースは棒杭のワカ、中央広場を経て、ブルガトリオ山に正対するワカ・ラルガへ進み、聖なる石の神殿へ至ることになっている。
ワカ・ラルガの長さは約700mあり、ペルー北海岸で最も長大なピラミッドとされる。
「ピラミッドの谷」としても知られるトゥクメは、この地域で繁栄した3つの文化であるシカン文化( 800年~1350年)、チムー王国(1350~1450年頃)、インカ帝国(1450~1532年)における巨大な宗教センターであったと考えられるようになった。
シカン博物館に展示されているシカン文化は、その盛期である中期シカンの時代に相当し、トゥクメの東25㎞のバタン・グランデに建設されたが、12世紀前半にエル・ニーニョと思われる気候変動により、神殿は焼かれて衰退した。その後の移転により、後期シカン文化の中心地となったのが、このトゥクメの地とされている。
遺跡内には26基のアドベ(日干し煉瓦)のピラミッドが散在し、神々、神話、祭祀を描いたレリーフで飾られた豪華な宮殿が存在していたという。住民は農業や漁業に従事し、南米沿岸の他の都市と交易を行うことで生計を立てていた。
トゥクメ遺跡の発掘プロジェクトは、コンチキ号で知られるトール・ヘイエルダールが指揮して、オスロのコンチキ博物館およびペルー国立文化研究所の資金援助によって進められた。
中央の見学ルートを進む。
ワカ・ウノ。
発掘調査中のようで、頂上に覆い屋がある。
アドベ(日干し煉瓦)は雨に弱く、エルニーニョ現象がもたらす豪雨により数多くのワカ群は崩壊しかけている。
ワカ・ウノ。
このワカはインカ帝国最後の皇帝アタワルパがスペイン人によって捕らえられ殺害された際、意図的に火をつけ破壊された形跡があるという。
ワカ・ラス・バルサスのレリーフ(複製)。
遺跡南西に位置する「ワカ・ラス・バルサス」の壁にはバルサ(筏舟)に乗った人物のレリーフが多数描かれており、権力の象徴とされる上弦の月を頭上に冠した神や鳥の頭を持つ人物のほか、波やスポンディルス貝など、海の彼方からやってきたというランバイエケの神「ナイランプ」に関する神話が表現されている。
ナイランプとは、「N~AM(鳥)」と「LA(水)」というムチック語(ペルー北海岸地方の古い言語)に由来する。
セロ・プルガトリオの中腹にあるミラドール(展望台)へ登るコースを歩く。
ミラドール(展望台)へ登るコースを進む。
ミラドール(展望台)へ登るコースを進む。
第1展望台からの風景。
第1展望台から第2展望台へ向かう階段。
第2展望台と背後の山頂。
第2展望台上の展望地から展望台方向を見下ろす。
第2展望台から西方向を見下ろす。
第2展望台から北東方向を見下ろす。
右端がワカ・ラルガ、左端がワカ・ウノ。
崩れたピラミッドや、アルガロボの森を見渡すことができる。
セロ・プルガトリオのミラドール(展望台)の案内看板。
博物館付近の壁。
ワカ・ラルガの第二基壇に描かれた神話上の聖なる鳥をモチーフとしている。
トゥクメは3つの異なる時代を通して崇め続けられた聖地だ。例えば「ワカ・ラルガ」の基壇はシカン時代に造られたが、その後チムー時代に拡大され、セロ・プルガトリオの麓まで延長された。いくつもの中庭や広場が建設され、壁が赤や白、黒で彩色された。
インカ帝国がチムーを征服した1470年には、ワカ・ラルガはすでに地域統制に欠かせない場所となっていた。インカの皇帝は一帯を統治させるため引き続きここに施政者を住まわせたという。
トゥクメを去る。
シパン王墓博物館へ向かう。
トゥクメの遠景。
セビーチェ風のランチ。
途中のレストランで。ツアーは余分な出費を迫られ、時間を無駄に消費する。隣に座ったペルー人の母・娘と片言のスペイン語で会話した。バルガス・リョサの「緑の家」を読んだことなど。50歳前後の母親からフェイスブックの友人になってほしいと迫られた。
シパン王墓博物館。
AD100~600年頃に栄えたモチェ王国の王墓から出土した王のミイラと豪華な金銀の副葬品が展示されている。ペルーでも有数の博物館のため、入口で荷物を預けることになっており、写真撮影はできない。
その代わり、6月12日に、チクラヨ南東にあるシパン王墓が実際に出土したワカ・ロハダと付属博物館を見学して、写真も充分に撮影した。
ランバイエケの街並み。
シパン王墓博物館の反対側を眺めた。
ツアーバスは17時20分頃チクラヨへ向け帰途に着いた。チャチャポヤス行きの夜行バス18時発の乗車券を購入してあるので、発車時刻に間に合うか不安になった。
ガイドに申告して近くで降ろしてもらうことにした。食事で会話した母娘も同じで、行先は違うが、街中で先に降りて行った。私も近くで降りたのはいいが、場所が分からなくなった。間違えて、母娘が座っているバスターミナルに入ると、娘が方向を教えてくれた。近づいたはずが、やっぱり分からず、女性交通警官に尋ねて、ようやくシバ社のバスターミナルに着いた。
チクラヨ名物「キンコン」。
ランバイエケ発祥とされる名物菓子。層になったキャラメルやジャムをビスケットでサンドした甘い菓子。食べると、ボロボロと口からこぼれてくる。少量なら美味いが、量が多くて食べ終わるのに時間がかかった。
ターミナル内の売店でキンコンや飲み物を購入し、18時発の夜行バスに乗り込んだ。
チャチャポヤス到着は翌朝4時である。