チャチャポヤス・バックパッカーズ。ホテル前。チャチャポヤス。
2015年6月10日(水)。
6月9日18時にチクラヨからチャチャポヤス行きのシバ社の夜行バスに乗車、チャチャポヤスに着いたのは翌朝午前4時頃であった。
ターミナルというよりは町外れにあるヤードという感じで、待合室などは全くない。降車客はそれぞれ散っていく。
まだ、夜明け前で暗く、場所もはっきりしない。仕方がないので、タクシーでホテルまで向かった。運賃3ソレス。ホテルの前に着いたが、午前5時前だったので、ドアの前で10分ほど立っていると、誰かがドアを開けた。ホテルの主人だったようで、中に開けてくれて助かった。
チャチャポヤス・バックパッカーズ。部屋前の廊下。
2月頃に予約しておいたチャチャポヤス・バックパッカーズの個室は1泊1214円。30ソレス。トイレ・シャワーは共同だが、安いわりに快適だった。
部屋に荷物を置いて、受付に行き、カラヒアとクエラップのツアーを予約した。クエラップは人気があって毎日催行するが、カラヒアは毎日あるわけではないという。
当日10日8時半発カラヒアのツアーは70ソレス、翌11日クエラップのツアーは30ソレスだった。
アルマス広場。
チャチャポヤス・バックパッカーズから徒歩5分ほどの場所にある。町の中心広場であるが、早朝だったので静かであった。
標高2200mの山間部にあるチャチャポヤスはアマゾナス州の州都で人口約2万人。チャチャポヤスとは、ケチュア語で「雲の上の人々」という意味らしい。
チャチャポヤス文化は800年頃から華開き、広大な範囲を支配したが、1470年にインカ帝国に征服された。
クエラップは「北のマチュピチュ」とよばれる、山上にそびえる石造の要塞都市遺跡で、チャチャポヤスの首都であったとされる。
「カラヒアの棺」は断崖の窪みに置かれた人型の棺をした墓で、チャチャポヤス独特の墓制である。地球の歩き方の表紙に描かれているように、最近人気になっており、クエラップなどと合わせれば、世界遺産級の史跡である。歩き方を読むまでは、全く知らなかったが、見学に値すると日程に組み込んだ。
チャチャポヤスの街並み。
中心街にはスペイン植民地時代のコロニアル風の建物が建て並んでいる。
チャチャポヤス付近山岳地帯の風景。
「カラヒアの棺」ツアーは8時50分頃にホテル前でピックアップ。15人ほどを乗せたマイクロバスに乗車。
小さいチャチャポヤスの町を出ると、すぐに山岳地帯の道路が続く。
チャチャポヤス付近山岳地帯の風景。
深い谷の底には川が流れている。北西に流れてアマゾン川の源流となっている。
チャチャポヤス付近山岳地帯の風景。
道路に舗装はなく、山崩れのあとも残っている。雨季は危険だと感じる。
チャチャポヤス付近山岳地帯の風景。
チャチャポヤス付近山岳地帯の風景。
途中の村。
モトタクシーはどこの村にもある。店で洞窟見学用のチケットを購入し、洞窟見学用に長靴を借りる。
キオクタ洞窟の案内看板。
「カラヒアの棺」へ行く前に、近くのキオクタ洞窟見学が定番となっている。
キオクタ洞窟の入口。
受付小屋があり、門番の青年から一人づつ、コカの葉を渡されたので、噛んでみた。高山病に効くという。麻薬なので、市販のコカ茶のティーバックさえも、日本へは持ち込めない。
古来から聖所へ供える葉として使用され、それらしい場所には必ず置かれている。
ペルー人の家族がいて、男の子が日系3世といっていたが、すっかり現地化した風貌で、とても日本人には見えなかった。
キオクタ洞窟。
岩絵らしいものがある。
キオクタ洞窟。人骨。
チャチャポヤス文化時代から墓として使われた。
キオクタ洞窟。人骨。
内部は泥だらけで、ズボンに付いた泥は2週間ほど消えなかった。
キオクタ洞窟。鍾乳石。
鍾乳洞なので、古代は海の底にあったということか。
キオクタ洞窟。鍾乳石。
余り、有意義とはいえない洞窟見学であった。
途中の村で昼食を摂る。近くに座った40歳ぐらいの女性は北アイルランドから来た看護婦だった。
このあと、カラヒアへ向かう。