シパンにおけるモチェ文化の終末。シパン博物館。
2015年6月13日(土)。
AD700年頃にモチェ文化は衰退する。大豪雨や大旱魃などの激しい気候変動が繰り返されて社会組織を崩壊に導いた。
モチェ谷の太陽と月の神殿が放棄された。
パンパグランデのモチェ文化建築複合体。
パンパグランデはシパンの東に位置し、モチェ文化最後の都で、モチェⅤ期の行政・祭祀センターである。4.5㎢に及ぶ範囲に、モチェ谷の太陽の神殿に匹敵するような高さ55mの巨大なピラミッドであるワカ・フォルタレッサが築かれ、周囲には耕地や住居、行政組織の存在を示唆するような多様かつ複雑な構造物が配置された。
モチェ社会の中心がモチェ谷からパンパグランデに移ったと島田泉は解釈するが、ヘケテペッケ谷を含めた各地域ごとに別々の展開をしたという説も有力である。
ランバイエケ(シカン)文化時代。
シカン王の行列。バタン・グランデ。
ランバイエケ(シカン)文化時代。
ランバイエケ(シカン)文化時代の埋葬人骨と副葬品。
14~15世紀になると、シパン周辺の住民は埋葬時にチムー文化に強く影響された副葬品を供えた。
土器の変遷。
シパンおよびヘケテテペッケ谷。下からモチェ文化早期。中期、後期、ランバイエケ(シカン)文化期、チムー文化期、チムー・インカ文化期。
シパン博物館を1時間ほど見学して、徒歩10分ほどの距離にあるシパン王墓のワカ・ラハダ遺跡へ向かった。