「北のマチュピチュ」 クエラップ遺跡 その1 ペルー チャチャポヤス
チャチャポヤスからクエラップへ向かう途中の山岳風景。2015年6月11日(木)。早朝、ホテル前からピックアップされ、クエラップへのツアーバスに乗車した。 「北のマチュピチュ」とも例えられるクエラップ遺跡はナショナルジオグラフィックにより「一生のうちに訪れるべき50の場所」のひとつに選ばれている。...
View Article「北のマチュピチュ」 クエラップ遺跡 その2 ペルー チャチャポヤス
クエラップ遺跡。2015年6月11日(木)。要塞内部へ向かう。都市を守る20mの高さを持つ大きな石壁の要塞では、入口通路が3か所に制限されており、そのうち北東の入口を登って内部に入る。 北東の入口。要塞内へ登る通路は狭いので、渋滞が起きる。敵の侵入を阻む垂直の壁と、奥へ行くほど狭くなるという独特の構造を持つ入口である。...
View Article北のマチュピチュ」 クエラップ遺跡 その3 ペルー チャチャポヤス
中央地区。クエラップ遺跡。2015年6月11日(木)。北地区から中央地区へ移動した。 クエラップ要塞の内部には約420の建物が建てられていた。中央地区にはチャチャポヤス時代の円形で石造の住居跡が残っている。石壁の装飾文様。エリート階級の住居外壁には、石板を用いて、水平列、菱形、稲妻形などの幾何学文様が装飾されている。菱形の文様は眼を表現しているとされる。...
View Article北のマチュピチュ」 クエラップ遺跡 その4 ペルー チャチャポヤス
中央地区から南部地区へ向かう。クエラップ遺跡。2015年6月11日(木)。中央の建物跡は主神殿。 主神殿。下部が平らな逆円錐形をした建物で、高さ5m、頂部の直径は13.5m。内部にはボトル型の部屋が設けられていた。宗教儀式のための用途であったことは明らかで、石彫の神像が残っている。儀式に供えられた鳥形の石像やスポンディルス貝なども出土している。周壁内部には人骨が埋葬されている。...
View Articleペルー チクラヨ シパン博物館 その2 第14号墓 献呈のテーマ
イグアナ男。シパン博物館。2015年6月13日(土)。死者の神。 首飾り。金銅製。ジャガーを模したもの。戦士=神官を象徴する。 大型の首飾り。権力を象徴するものとして使用された。 大型の首飾り。権力を象徴するものとして使用された。 第14号墓。2007年に発掘された戦士=神官の墓。 第14号墓。首飾り群。 V字形銅板製髪飾り。銅板を打出し、彫刻したもの。 献呈のテーマ。...
View Articleペルー チクラヨ シパン博物館 その3 戦士=神官が着用する儀式用の服
戦士=神官が着用する儀式用の服。シパン博物館。2015年6月13日(土)。左が前側、右が後側。金銅製薄板のテュニックは戦士=神官が着用する儀式用の服。1.5㎝四方の薄板が綿で編まれていた。袖なしで脇が開いた服は動きが楽だった。 戦士=神官が着用する儀式用の服。着用にはアシスタントが必要であった。 人物型土器。副葬品。 鐙形土器。人物面土器。動物形土器。副葬品。 盛装した戦士=神官。...
View Articleペルー チクラヨ シパン博物館 その4 モチェ文化早期の軍人貴族の墓
ランバイエケ地方の遺跡分布図。シパン博物館。2015年6月13日(土)。左側中央にチクラヨ。その左上がランバイエケ。右上がフェレヒャフェ。シパン遺跡は右側に3点点灯した赤ランプのうち中央下に示された地点。チクラヨとシパンの中間にある平地下にベンタロン神殿がある。チクラヨからシパンに向かうバスの外には山並みが広がっていた。 シ パン王墓下部の墓の層序。第15号墓の発見。...
View Articleペルー チクラヨ シパン博物館 その5 金属、土器、農業
冶金術と金銀細工。金属溶解の作業を表す陶器。シパン博物館。2015年6月13日(土)。モチーカ文化では抽出と融解の技術が発展完成した。装飾品だけでなく武器や銅製農業道具においても生産水準が増大した。合金と砒素青銅により非常に硬い金属を生産した。金メッキ製法は重要な発明であった。複雑な工程を通して、金属工たちは金・銀・銅の合金を現代の電気による製法と同等に生産した。 川での砂金採集と金の生産過程。...
View Articleペルー チクラヨ シパン博物館 その6 第16号墓 軍人王
軍人王。第16号墓。シパン博物館。2015年6月13日(土)。モチェ文化中期。上から第4層。2010年発掘。 軍人王と従者たち。 葬儀道具。 仮面。 仮面。墓から出土したものの復元図。 仮面。 副葬品配置図。 復元された墓。 銅製の胸飾り。左が軍人王のもので、右が「古い王」のもの。 銅製の胸飾り。 副葬品。「古い王」の墓。 鼻飾りを着用して戦闘へ向かう軍人貴族たち。...
View Articleペルー チクラヨ シパン博物館 その7 第16号墓
副葬品と土器。シパン博物館。2015年6月13日(土)。16号墓には動植物や貴人の彫刻が付された多くの壺が副葬されていた。 埋葬土器の配置。 土器。 16号墓の人骨。 16号墓の人骨。 V字形冠。A 古い王、3号墓、B 軍人王 16号墓、 C司祭=戦士 14号墓、 D セニョール・シパン。 V字形冠。冠の豪華さは貴人の象徴であった。 土器。 土器。
View Articleペルー チクラヨ シパン博物館 その8 モチェ文化の終末と後代の文化
シパンにおけるモチェ文化の終末。シパン博物館。2015年6月13日(土)。AD700年頃にモチェ文化は衰退する。大豪雨や大旱魃などの激しい気候変動が繰り返されて社会組織を崩壊に導いた。モチェ谷の太陽と月の神殿が放棄された。...
View Articleペルー チクラヨ シパン王墓のワカ・ラハダ遺跡 シパン王墓
シパン王墓のワカ・ラハダ遺跡前とシパン博物館を通る道路。2015年6月13日(土)。シパン博物館を1時間ほど見学して、徒歩10分ほどの距離にあるシパン王墓のワカ・ラハダ遺跡へ向かった。...
View Articleペルー チクラヨ シパン王墓のワカ・ラハダ遺跡 神官の墓、古シパン王の墓
第2号墓。神官の墓付近。シパン王墓のワカ・ラハダ遺跡。2015年6月13日(土)。シパン王墓から墓域頂上反対側の墓域へ移動すると、神官の墓がある。...
View Articleペルー チクラヨ シパン王墓のワカ・ラハダ遺跡 神殿ピラミッド、王宮ピラミッド
神殿ピラミッド。シパン王墓のワカ・ラハダ遺跡。2015年6月13日(土)。王墓ピラミッドの見学を終え、東に隣接している神殿ピラミッドへ向かう。 神殿ピラミッド南にある展望台への周遊路入口。展望台に見学の生徒たちの群れが見える。 神殿ピラミッド展望台から王墓ピラミッド方面。見学から帰る生徒たち。 神殿ピラミッド展望台からの風景。南方向のシパン村。やや西方向。...
View Article白洲次郎・白洲正子の旧宅「武相荘」 その1
2016年4月24日に横浜の兄の家で法事があったので、その前後にいくつかの古墳・城跡・博物館などを見学した。4月23日(土)に東京都町田市の武相荘、神奈川県藤沢市の遊行寺など、4月25日(月)に静岡県沼津市の高尾山古墳、浜松市の二俣城跡など、4月26日(火)に浜松市の高根城跡、井伊谷城跡、三岳城跡、北岡大塚古墳など。...
View Article白洲次郎・白洲正子の旧宅「武相荘」 その2
武相荘。「Bar & Gallery」“Play Fast”棟。床下。2016年4月23日(土)。床下には、白洲次郎が使用していた農機具類が置かれている。 武相荘。「Bar & Gallery」“Play Fast”棟。床下。結構近代化された農機具が多い。左端は、農具ではなく砕氷機のようだ。家族でかき氷を食べていたのか。 武相荘。「Bar & Gallery」“Play...
View Article初代「スルガの王」の墓 沼津市 高尾山古墳 沼津市文化財センター
沼津市・高尾山古墳。前方部から。2016年4月25日(月)。24日(日)に横浜の兄の家で法事を終え、道の駅箱根峠で車中泊。早朝、国道1号を西に進んで、江原公園交差点を北に入るとすぐ右側に高尾山古墳が見えた。駐車場はないので、民家前の空地に駐車した。昨年あたりから、保存問題が新聞紙上を賑わしていたので、いつか見学しようと思っていた。...
View Article沼津市文化財センター ガラス勾玉の鋳型、唐三彩陶枕など
旧石器時代の黒曜石。沼津市文化財センター。2016年4月25日(月)。手前右から、神津島、天城、諏訪、和田。奥右から、箱根、蓼科、和田。約32000年前から愛鷹山麓に人々が生活しはじめた。石器の中でも黒曜石は非常によく使われ、沼津市内の遺跡から発見された黒曜石の産地は、遠く各地におよんでいる。神津島は伊豆半島から40㎞も離れており、黒曜石が海を渡って持ち込まれたことが分かる。...
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