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ペルー チクラヨ シパン博物館 その1 アンデス文明の編年とランバイエケ地方史

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シパン博物館行きのバス。チクラヨのTERMINAL EPSSEL
2015613日(土)。
611日にチャチャポヤスでの遺跡見学を終え、夜行バスでチクラヨへ向かう予定だったが、大雨による道路障害で運休となったため、延泊して、翌12日にほぼ1日かけて、チクラヨのモビル社バスターミナルに17時頃に着いた。
必要なのは、チクラヨの宿と翌日午後のカハマルカ行きバスの予約。タクシーの運転手がしつこく勧誘してきたので、カハマルカ行きのバス営業所へ連れていってもらい、ディアス社の17時発乗車券を25ソレスで購入。深夜到着となるが、カハマルカのホテルは数か月前に予約しているので仕方がない。
チクラヨのホテルで安い所はないかと言うと、アルマス広場北東のオスタル「グラディオロス」に連れていった。ホテル代50ソレス。タクシー代30ソレス。
 
613日はワカ・ラハダを見学することにしたが、先日のシカン博物館ほかのツアーでは自由な撮影時間がなかったので、路線バスを使って個人で行くことにした。
ホテルに荷物を預けてタクシーに乗り、シパン博物館行きのバスが出ているミクロバス乗り場のTERMINAL EPSSELに到着。
 
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シパン博物館付近の道路。
1時間ほど乗車ののち、シパン博物館最寄りのバス停で下車。仔馬が草を食べている。
 
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シパン博物館。
ツタンカーメンの墓に匹敵する世紀の大発見とされる、シパンの王墓と金銀の副葬品が1987年にこの地のワカ・ラハダとよばれるピラミッドで発見された。

シパンはAD100600年頃に栄えたモチェ王国の北の中心地であり、発掘された王墓群からの出土品が、シパン王墓博物館とともに小規模であるが、このシパン博物館で展示されている。
 
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シパン博物館。
出土した仮面がシンボルとなっている。展示は豊富で、撮影が自由なのはありがたい。
 
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石鏃。
槍の穂先。狩猟用。
ペルーでは2万年前から人類が住みはじめて採集生活を送り、6000年前から農耕や漁労が始まったとみられる。
チクラヨを県都とするランバイエケ県地方でも、住居遺跡が発見されている。
 
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BC5000
年~BC1800年までのペルー。形成期早期。
農耕・漁労の発展により祭祀センターとしての神殿建設が始まった。
 
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BC5000
年~BC1800年までのペルー。
カラルの神殿復元図。スーペ谷のカラルに代表されるような円形広場が付属した基壇を重ねた神殿が建設された。(世界遺産カラル遺跡は6月18日に見学)。

コンドルがデザインされた綿布。ワカ・プリエタ遺跡。ペルー北海岸チカマ河口の遺跡で、BC2500年~BC500年頃の先土器時代から形成期中期の生活の跡をとどめる。
 
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BC5000
年~BC1800年までのランバイエケ地方。
ベンタロン遺跡の神殿復元図。
石とアドベで建設された神殿内部には聖なる火を灯す場所が設けられていた。

ベンタロン遺跡は、チクラヨの郊外にあるBC30002000年前のプレ・インカの神殿跡。モチェ文化のシパンからは約20kmの所に位置する。遺跡の大きさは約2,500平方メートルあり、近くの川の泥から作られたアドベ(日干し煉瓦)によって建てられている。

2007年に黒鹿が網にかかっている様子が描かれた壁画が発見されている。この神殿から発見された彩色壁画は、放射性炭素年代測定により約4000年前のものであることが判明しており、アメリカ大陸でも最も古い遺跡の一つに数えられている

遺跡は、主に3つの時代の層からなり、黒鹿の壁画は中層から見つかっている。最下層には円形の祭壇がみつかっており、その壁には上下に向いた魚の壁画を見ることができる。このことから、灌漑による農耕が始まる以前の先土器時代にはすでに、狩猟、漁労、採取の資源が豊富にあったこの地に、人々が惹きつけられていたことが分かる。

また、アマゾン地域のインコやサルの骨やエクアドル特有の貝殻などが、捧げ物として出土していることから、この地域において、太平洋岸地帯とそれ以外のペルーの地域との文化交流が盛んに行われていたことが分かっている。
 
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BC5000
年~BC1800年までのランバイエケ地方。
ベンタロン遺跡の神殿における祭祀復元図。
供え物を渡す場面。      
 
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BC1800
年~AD100年までのペルー。形成期。
写真はチャビン・デ・ワンタル遺跡。
形成期の起源について論争があったが、最近は海岸部のクピスニケ様式を起源として内陸部のチャビン様式へ発展したという説が有力とされる。
 
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BC1800
年~AD100年までのランバイエケ地方。
レチェ谷の神殿群。階段の幅は25m。クピスニケ文化。プルレン神殿、ワカ・ルシア神殿。コルード神殿。
 
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AD100
年~AD700年までのペルー。地方発展期。
モチェ文化、ナスカ文化、ティワナク文化の時代。海岸地帯に灌漑農業が本格化した時代。青銅などの金属器製作が盛んになった。
 
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AD100
年~AD700年までのランバイエケ地方。
シパンの神殿復元図。
 
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AD700
年~AD1000年までのペルー。ワリ文化期。中期ホライズン。
 
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AD700
年~AD1000年までのランバイエケ地方
シカン文化。ポマック・バタングランデ地域。
ワリ様式とモチェ様式の陶器の共存。
 
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AD1000
年~AD1470年までのペルー。地方王国期。
複数の谷を統合した灌漑技術により各地に都市国家が成立し、産業と広域圏交易が活発化した。
シカン、チムー、チャンカイなどの王国が成立。
左は1375年頃のチャンチャン想像図。チムー王国の王都。(世界遺産チャンチャン遺跡はトルヒーヨにあり、6月15日に見学)。
 
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AD1000
年~AD1470年までのランバイエケ地方。
左上はバタングランデ。右上はトゥクメ。
 
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AD1470
年~AD1533年までのペルー。インカ帝国期。
チムー王国は1450年から1470年までにインカ帝国により征服された。
 
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アンデス高地を進撃する無敵のインカ帝国軍。
 
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AD1470
年~AD1533年までのランバイエケ地方。
トゥクメの神殿で行われた宗教儀式の想像図。

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