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ペルー チクラヨ シパン王墓のワカ・ラハダ遺跡 シパン王墓

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シパン王墓のワカ・ラハダ遺跡前とシパン博物館を通る道路。
2015613日(土)。
シパン博物館を1時間ほど見学して、徒歩10分ほどの距離にあるシパン王墓のワカ・ラハダ遺跡へ向かった。

 
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ワカ・ラハダ遺跡入口の模型。
ワカ・ラハダ遺跡を有名にしたのは、20世紀最大といわれる量と質を誇る副葬品を伴った墓の発見であった。19877月、世界を驚嘆させる大ニュースがペルー北部の片田舎から発信された。「ペルー・ランバイエケ地方にて、大量の黄金を発見」。黄金の防具や装飾品を身に付け、千数百年の深い眠りから呼び覚まされたその主は、発掘を手がけたペルー人考古学者によって「セニョール・デ・シパン (シパン王)」と名付けられた。
 
ワカ・ラハダは主として3つのピラミッドから構成されている。
右から、王宮(100m四方で高さ30m)、神殿(100m四方で高さ30m)これら2つはほとんどその原形を留めていない。左端の小さなピラミッドが貴人たちの墓所となっており、シパン王のそれを含め現在16基の墓が発見されている。
 
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神殿のピラミッド。
アドベが風化して原型を留めていない。この左側に王墓がある。
 
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王墓のピラミッド地区。
 
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8号墓。戦士の墓。見取り図。
1994年に発見された。6.2m×5.4mの墓室に3体の遺骸が埋葬されていた。
 
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8号墓。戦士の墓。レプリカ。
若い戦士たちは棍棒を持ち、143個の土器を伴っていた。
 
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7号墓。護衛の墓。
 
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7号墓。護衛の墓。見取り図。
1994年に発見された。3.5m×1.7mの墓室に、儀式により足首が切断された一人の成人男性、冠を付けた一人の女性が埋葬されていた。リャマの頭部とそれ以外の部分が別々に納められていた。
 
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7号墓。護衛の墓。レプリカ。
 
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78号墓レプリカから頂上部を望む。
 
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1号墓周辺。
 
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1号墓。シパン王墓。見取り図。
シパン王の墓には妻や若い女性、子供、護衛など8人の人物と2頭のリャマ、犬1匹が埋葬されていた。死後の世界があると信じていたモチェの人々にとって、王の死に際し家族や従者が黄泉への道を共にするのは当然のことだったのだろう。
中央の柩に、主葬者のシパン王の遺体。頭部は上方向。左に戦士、上と下に妻。右は王の旗持ち、その上に子供、右斜め上は足首から下が切断された男性護衛。左上の壁龕に、見張番。
 
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シパン王。
AD600年頃に政治・軍事・宗教的権力を一身に集めたシパン王の推定死亡年齢は40歳で、身長は166cmであった。死因は伝染病または病死で、暴力を受けたものではない。

 

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1号墓。シパン王墓。レプリカ。
 
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1号墓。シパン王墓。レプリカ。
 
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1号墓。シパン王墓。レプリカ。
 
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1号墓周辺。

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