武相荘。「Bar & Gallery」“Play Fast”棟。床下。
2016年4月23日(土)。
床下には、白洲次郎が使用していた農機具類が置かれている。
武相荘。「Bar & Gallery」“Play Fast”棟。床下。
結構近代化された農機具が多い。左端は、農具ではなく砕氷機のようだ。家族でかき氷を食べていたのか。
武相荘。「Bar & Gallery」“Play Fast”。
部屋は狭いが、イギリスのカントリー・ジェントルメン風のテイストでまとめられている。
武相荘。「Bar & Gallery」“Play Fast”。
奥の右側はバーカウンター。その左の隠された部屋は紳士専用となっている。
新婚時代と思われる白洲次郎と正子の写真。
右より白洲次郎、今日出海、吉川幸次郎。東北電力株式会社社長室(ママ)にて。
白洲次郎は只見川水利権問題で東京電力を非難している。電力現場の視察も精力的にこなしている。官僚的な電力会社会長ではなく、プリンシプルを持った経営者であった。
白洲次郎が1947年、終戦連絡中央事務局次長を辞すさいに、マッカーサーへ贈った椅子のレプリカ。
五つ星はアメリカ軍元帥の階級章。
椅子の寄贈に関する書類。[詳細] (拡大可)
椅子の寄贈に関する書類。
白洲次郎愛用のオリベッティ製タイプライター。
ジープ・ウェイ・レター。
1946年2月15日の日付がある。最後の行にドクター・マツモトの文字がある。
1946(昭和21)年2月15日、白洲次郎終戦連絡事務局参与は、松本烝治国務大臣の意を受けて、ホイットニー民政局長に宛て、GHQ草案が、松本等に大きな衝撃を与えたことを伝え、遠まわしに、「松本案」の再考を希望する旨の書簡を送った。
白洲は、「松本案」とGHQ草案は、目的を同じくし、ただ、その目的に到達する道すじを異にするだけだとして、「松本案」は、日本の国状に即した道すじ(ジープ・ウェイ)であるのに対して、GHQ草案は、一挙にその目的を達しようとするものだとした。
この書簡に対して、ホイットニー局長から、翌16日、返書が寄せられ、同局長は、日本側が、白洲の書簡によってGHQの意向を打診し、「松本案」を固守しようとする態度に出ているとして厳しく反論し、国際世論の動向からも、GHQ草案を採ることの必要性を力説している
「PLAY FAST」のサイン。
軽井沢ゴルフ倶楽部理事長時代のエピソードも有名。
軽井沢ゴルフ倶楽部関係の展示。
「UPはゆっくり」などと書いている。
吉川英治からの献呈本。
白洲次郎制作「パンの保存箱とカット台」。
什器類。
12時過ぎまで見学し、町田市立博物館へ向かった。