ワリ文化の都市遺跡ピキリャクタ。バス停の案内板。クスコ東郊。
2015年6月23日(火)。
午前中に聖なる谷南部のピサック遺跡を見学したのち、クスコに帰り、ピキリャクタを見学することにした。タクシーでピキリャクタを経由するウルコス行きのバスのターミナルへ向かった。45分ほどの乗車で、15時15分頃、大きな湖に接する高原地帯のど真ん中にあるルクレ盆地に到着。
バス停から見る遺跡入口。
民家も何もない。クスコ方向にアクセス道らしい脇道が見えたので、歩き出す。
遺跡への道。
10分ほど歩いて、ビジターセンターでクスコ周遊券を見せて入場。
ピクリャクタ遺跡のパノラマ。
しばらく歩くと遺跡右側に長い石壁が続き、坂道を登ると展望台のある遺跡への入口がある。
山の麓には湖が点在している。
ワリ文化の時代に、標高3250mの低い丘の斜面に都市が建設された。
ワリ文化は6世紀の終わりごろから10世紀にかけて、ペルー中部高地アヤクチョ地方のワリ遺跡を中心として栄えた文化。ボリビアのティアワナコ文化とほぼ同時期の文化。ワリ帝国という政治的・軍事的な大統合が生じたとする説もあるが、詳しいことはわかっていない。使用言語はアイマラ語であった。
ワリ文化の遺跡は遠隔地が多く、この遺跡は貴重な実例である。
山と点在する湖。
都市遺跡をめぐる壁。
都市遺跡。
粗石を積み上げた高い壁が縦横に走り,長方形の建物や広場を取り囲む2階建ての建物がつくられ,祭祀センターとみられる神域も設けられた。
都市遺跡。
地形を無視してまっすぐに走る石壁によって囲まれた巨大な方形の空間である。2㎢という範囲はインカ時代のクスコに匹敵する広さである。
内部はワリ文化独特の「直行する細胞状建築様式」により、いくつかの仕切り壁によって、さらに小さい方形の空間に分かれる。しかし、内部通路が極端に少ないため、移動や連絡は決して容易でなかったという。
最近の調査で、ここが600年から900年にかけてのワリの地方センターであり、エリートが住み、宗教的儀礼も司っていたことが分かった。その際、中心的な役割を担ったのがワリから派遣されたエリートであったのか、この地方の首長であったのかは分かっていない。
ワリ文化の崩壊とともに、都市は放棄された。
石壁の間の通路を進む。
ワリ文化独特の「直行する細胞状建築様式」。
中心的な位置にある広場。
広場に隣接した建物跡。
半地下式の建物跡。
漆喰の跡が残っている。神殿など宗教施設などの重要な施設と思われる。
建物跡内部。
建物跡内部。
建物跡内部。
建物跡内部。
高台から見た建物跡。
崩壊した住居遺跡。
崩壊した住居遺跡。
建物跡内部。
建物跡内部。
遺跡の湖方面へのメインロード。
メインロードの正面階段。
遺跡の外側を歩いて帰る。
バス停近くで欧米人の若いカップルに話しかけられ、アンダワイリーリャスの教会はどの方面にあるのか尋ねられたので、クスコから来るバスに乗ればいいと答えた。
アンダワイリーリャス地方はインカのパチャクティが戦勝して、帝国の基礎を作ったという対戦相手のチャンカ族の本拠地であった。
バスに手を挙げて乗車し、クスコへ帰った。