烏来泰雅(タイヤル)民族博物館。
2016年11月26日(土)
温泉入浴後、バス停方向へ戻り、賑やかに店が並ぶ通りの真ん中にある原住民文化博物館を見学した。1階から3階まで展示がある。
台湾原住民への関心は縄文人の起源への関心である。
「ウーライ」の名は、タイヤル族の「湯気が立つ湯(温泉)」を意味する言葉を聞き、音を漢字にあてはめたものである。
台湾原住民の言語はオーストロネシア語で、オーストロネシア語族は台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族である。かつて日本では南島語族といわれ、現在の台湾での表記も南島語族とされている。
台湾諸語は、アタヤル語群(タイヤル語群)、パイワン語群、ツオウ語群に大別され、このうちパイワン語群に属するアミ語の話者が10万人前後と最も多い。
台湾原住民の諸語はオーストロネシア語のなかで言語学的にもっとも古い形を保っており、考古学的な証拠と併せて、オーストロネシア語族は台湾からフィリピン、インドネシア、マレー半島と南下し、西暦 5 世紀にインド洋を越えてマダガスカル島に達し、さらに東の太平洋の島々に拡散したとされる説もあるが、現在では否定する意見が多い。
インドネシア、マレー半島、中国南部に広がっていたスンダランドの語族の一部が台湾に残り、オーストロネシア祖語の最も古い痕跡を残していると考える。
日本語は一般的にウラル・アルタイ語系とされるが、発音については、ポリネシアに近い。発音は母系ルーツなどの習慣を残しているのではないか。
縄文時代は、約1万5,000年前から約2,300年前(BC4世紀頃)とされる。
縄文人のルーツ。
形質人類学からは、東南アジアと日本列島の旧石器時代人との類似を指摘する研究が多い。
分子人類学の父系のルーツからは、縄文人は主にD1bタイプタイプの古モンゴロイド系で、その後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられる。
遺伝子解析の結果、日本人(琉球人、本土人、アイヌ人)は縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ている。
日本列島にD系統の人々が入ってきたのは数万年前の最終氷期地続きの時代と考えられている。
古モンゴロイドは北方系と南方系に分かれる。縄文人の系統は北方系古モンゴロイドのアイノイドで、その典型例はアイヌである。琉球人はアイノイドと南部モンゴロイドとの混血で、日本本土人はアイノイドと北部モンゴロイド、中部モンゴロイド、南部モンゴロイドとの混血である。
南方系古モンゴロイドはインドシナ人種で中国南部からインドシナ半島などに分布する。タイ人、クメール人、モン人、チャム人などが代表的。
インドネシア・マレー人種はインドシナ人種とオーストラロイドとの混血人種であり、マレー人、ポリネシア人、ミクロネシア人、マオリ人などが代表的。
母系のルーツからは、宝来聡によれば、東南アジアの少数民族から日本列島に位置する琉球弧人やアイヌまでが共通の因子を持つとされ、形質人類学において、これらの人々が縄文人と最も近いとされることから、縄文人のルーツは東南アジアの旧石器時代人との見方が可能である。
篠田謙一によれば、縄文人は、現在は海底に沈んでいる東南アジア・フィリピン沖のスンダランドが起源で、北上して南九州に到達し、日本全国へ拡散したと想定している。
尾本惠市や崎谷満などの分子人類学者は東アジアへの人類到達はヒマラヤ山脈の北方を経由したとする「北回り説」を唱えている。東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的であったと述べている。
海部陽介は、数万年前に対馬、沖縄、北海道の3ルートから流入したと想定している。
「DNAで語る 日本人起源論」(篠田謙一、2015)では、
本土(本州、四国、九州)日本人の成立について、ホモ・サピエンスが世界に展開した後期旧石器時代には、海水面の低下によって本土日本の3つの島は基本的には一体化したと考えられ、いったん本土日本に到達した人たちは、陸路でこれらの地域に進出することができたはず。
縄文人は旧石器時代にさかのぼる周辺の南北双方の地域から流入した人びとが、列島の内部で混合することによって誕生したと想定できる。
人骨の形態学的な研究をしている片山一道はかねてから、縄文人はどこからか来たのではなく、列島内で縄文人になったのだと主張している。
縄文人は由来の異なる人びとの集合によって列島内で誕生したと考えれば、外部に形態の似た集団を探すことに意味はない。現時点での縄文人のDNAデータも、このシナリオを支持している。