Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

国立台湾博物館 台北 アミ族 ヤミ(タオ)族 ブヌン族

$
0
0

イメージ 1
男性の服飾。帽子。アミ族。
国立台湾博物館。台北。
20161126日(土)。
アミ族は台湾東部の平野部に住む種族で、約19万人と原住民族の中でも最も人口が多い。主に花蓮、台東の平野部、その中間の中央山脈と海岸山脈の間の花東縱谷平原および東海岸に分布している。アミとは「北方」を意味する。
 
イメージ 2
女性の服飾。アミ族。
アミ族は母系社会で、母親を太陽と称する。赤色の伝統的な服飾や羽の冠、花の冠、肩帯びに付いた円形の貝殻、腰帯に付いた鈴などはすべて太陽である母親を象徴している。
 
母系相続を行うため家業・財産は長女が受け継ぎ、以下優先順位は女性側にある。また姓も母方の姓が引き継がれる。婚姻は婿入り婚である。
 
大家族制で、一戸に住む人数は多い。家長は女性であるが、一方で集落をまとめ上げる村長は男性であり、家長の夫である男性の長老が形成する長老会議が村を運営する。
年齢階級組織は非常に厳格で、長老が高い地位にあり、絶対的な権威をもっている。長老たちの会議には否決権がある。
 
イメージ 3
臼、杵。祭祀用酒壺。
アミ族は「kawas」を中心とする固有の宗教をもっている。(鬼や神はすべてkawas)。宇宙の中で最も重要なのはkawasで、西方に暮らす造物神は土地森林、動植物、争いおよび年齢階級組織を掌握、北方に暮らす女神は寿命、生育、性別、婚姻、健康、族別などを掌握、東方に暮らす海神は海や気象、航海、漁、地震および台風を掌握すると言われている。祖霊は南方に集まっており、家族を見守っている。
文化の面では、女性の製陶や籠編みに特色がある。
 
イメージ 4
拼板漁船。模型。ヤミ族。
ヤミ族は「人」を「タオ」と呼ぶことから、近年になって「タオ族」と改称された。台湾の東南方にある蘭嶼島に居住しており、台湾原住民のなかで唯一、台湾本島に居住しない種族である。ヤミ族は典型な漁業民族で、精巧な彫刻で飾られた拼板漁船(カヌーに似た木造の漁船)や木彫、製陶、金銀工芸などが特色である。
合議制・平等制の社会で頭目がおらず、平和志向の性質が指摘される。
 
タオ族はフィリピン北方の民族と共通点が多く、フィリピン北端のバタン諸島から海を渡って来たと考えられる。独特のトビウオ漁や、芋を中心とした食生活など、昔ながらの自給自足をベースとした伝統を守り続けている。熱帯に属し温暖なため、伝統的な衣服は簡単で、男性はT字型の褌、女性は腰巻状のものを羽織るだけである。
 
イメージ 5
伝統的な住居は地下屋と呼ばれる建物で、地面を掘り下げた半地下に建造される。台風を避けるため、周囲は石垣で囲まれている。
 
イメージ 6
芋頭(タロイモ)。
海岸近くには棚田が開かれ、タロイモが栽培されている。アワは、儀礼上重要な作物とされ、その収穫祭ミバチはよく知られているが、毎日の食事で主食となるのはイモである。
日常的にはサツマイモの消費が多いが、その他のイモも栽培されている。ヤミ族は、自然界を左右できると考える超越神シャカイ・ド・トに対して、年に一度ミパルスと呼ばれる祭祀をおこなうが、この時シャカイ・ド・トに献上するのは、アワ、タロイモ、ヤマイモ、トゲイモ、豚肉であり、サツマイモは含まれていない。ヤミ族文化には、稲作以前のオーストロネシア系諸族の古層の文化の特質が示されているという指摘もされている。
 
イメージ 7
アワ。
 
イメージ 8
ヤミ族の石器。石斧、石錘、砥石など。
 
イメージ 9
子殻製水入れ。
 
イメージ 10
肉盛り用碗。
 
イメージ 11
土器。土偶。
ヤミ族は土器作りをよく行う。独特の小さい坐像の人形や舟の形なども作るが、芋を煮るもの、水汲み用、食事用の茶碗なども自家用として作る。
 
イメージ 12
台湾の動物。猿、熊、山羊、キョン、イノシシ、センザンコウ(穿山甲)。
 
サオ族。
南投県魚池郷の日月潭のほとりに居住している。原住民のなかでも人口が極めて少ない部族。伝統的な生産方式は農耕、狩猟、漁業と採集である。日月潭の周辺で暮らしていることから、「浮嶼誘魚」など多くの独特な漁業方法やカヌーなどの湖上の工具を発展させている。
 
ブヌン族。
ブヌン族は主に中央山脈の両側山岳部を中心に住み、人口は約5万人。社会組織は、長老制度による父系氏族大家族社会で、長老者会議各家族の長老たちが集まり村の政策決定を行なう。民族意識が強く、民族の固有言語を保っている数少ない台湾原住民族である。
ブヌンはかつて焼畑農耕(アワ、サトイモ、サツマイモ、トウモロコシなど)と狩猟(イノシシ、シカ、ヤギ、キョン、ムササビなど)を生業としていた。かれらは良好な猟場や耕作地をもとめて家族単位で移住することも多く、かつての中部山地には、親族的な紐帯にもとづいた数戸の(石板石などで建築された)家屋からなる小規模な集落が点在していた。
ブヌン社会の根幹には父系拡大家族を基礎とした「父系クラン(氏族)体系」がある。夫方居住が常態であったブヌン社会において、人びとは父方の親族と生活をともにし、個人名や「姓」(クランの名前)を父系的に継承した。
平等主義的性格の強いブヌン社会には、農耕儀礼に関する深い知識を有する「農耕祭司」と首狩行動などを指揮する「首狩リーダー」がいた(ともに男性)。前者は(近隣)集落の有力クランの年長者・識者などが担ったが、後者の選出は徹底した実力主義であり、その権威は人びとの承認・支持によってのみ支えられていた。
ブヌン族の伝統音楽として最も有名なのは、八部合音などと呼ばれる合唱である。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles