男性の服装。ルカイ族。
国立台湾博物館。台北。
2016年11月26日(土)。
ルカイ族は台湾南部の屏東県霧台郷、高雄県茂林郷、台東県プユマ郷内に分布している。大武山北部の高地に住む。隣住する大集団パイワン族との接触により同化が進み,文化的にはほとんど相違点がない。ルカイ族もパイワン族と類似した貴族制度を有し、会所制度を有す父系社会である。
繊細な服飾芸術と家屋のなどの彫刻工芸、スレート(石板)造の家屋で知られる。
12月3日に入山許可が簡略化された霧台郷を見学した。
男性の服装の説明。
猴(猿)祭。プユマ族。
プユマ(卑南)族は台東県プユマ郷と台東市一帯に分布している。人口は1万人ほどで、原住民の中では6番目に大きな民族。平地原住民なので早期から多民族との接触があった。
交渉技術に長けていたプユマ族は、清朝康熙の時代、朱一貴の叛乱の平定に功労し、清朝より卑南大王の称号を与えられた。この時期アミ族やパイワン族からは貢納や徴税を行い、台湾原住民の中で絶大な力を誇っていたが、他民族が攻勢により、プユマ族の勢力範囲は徐々に縮小した。
母系制社会の傾向が強く、婚姻は婿入り婚が多い。頭目の地位、ビンロウの木、竹藪、牛、武器は父から息子、多くは長男に譲られるが、畑、家屋、豚のような主要な財産は母から娘(長女)に遺される。
プユマ族は知本と卑南(南王)の支族に分かれる。開祖伝説では、知本支族は台東県の太麻里郷美和海岸近くの山にある巨石が割れ、そこから祖先が誕生したという巨石誕生伝説を持つ。南王支族は、昔、南の海上から台東の海岸に上陸した夫婦が、杖にしていた竹を地面に刺したところ、その竹が繁茂した。プユマ族は、その竹から生まれたとする竹発祥伝説を持っている。
夫婦から二人の男子が生まれ、兄は知本、弟は卑南(南王)の祖になった。
刺猴儀式で猿を入れる篭。
毎年12月下旬から行われる猴祭は民族の成人式の様な意味合いを持つ通過儀礼で、猿を刺して少年の胆を試すものである。かつてプユマ族の男子には年齢制度と会所組織があり、少年は11~13歳になると少年会所に入って訓練を受け、先輩たちに民族のしきたりの教えを受けながら成長していった。
19~20歳になると、少年たちは民族の中壮年、長老たちと3日間、狩りなどをしながら3晩山で過ごす。刺猴儀式(竹竿で猿を刺す儀式)を行い、男たちが降りてきたところを女性が花輪や凱旋門を作って出迎えたところで、大猟祭が始まる。
竹竿で猿を刺す儀式に使われる籐製の猿人形。
長老の話によると、かつては少年たちと猿も一緒に共同生活をしていた。長い間寝食を共にすると猿と人間の間にも情が生まれ、ノミ取りをしあうほど仲良くなるが、その友達のような猿を自分の手で殺さなければならない。どんなに仲がよい友達でも場合によっては戦わなければならない場面があるかもしれない。猿との共同生活と、猿との別れを通して、戦いとはどういうものかを教えていたという。