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国立台湾博物館 台北 パイワン族 木彫 隋書「流求国」

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牙飾り輪帽。パイワン族。
国立台湾博物館。台北。
20161126日(土)。
パイワン(排湾族)は人口82千人あまりで、台湾南部の屏東県全域のほか台東県の南部に居住している。もっとも人口が多いのが屏東県来義郷で、その他瑪家郷、三地門郷、泰武郷、春日郷、獅子郷、牡丹郷のほか、台東県の大武郷と太麻里郷などに散在している。
 
牡丹社事件として知られる台湾出兵は、明治4年にパイワン族の生活圏に漂着した琉球島民54人が殺害された事件を受け、明治7年に明治政府が行った最初の海外派兵で、西郷従道を都督する日本軍は石門においてパイワン族の牡丹社を征討した。
 
「台湾先住民族の刺繍と織物」(住田イサミ、2002)によると、隋書に「流求国」と記された王国の末裔がパイワン族であるという。隋は608年に台湾にあった流求国を攻撃して失敗したが、隋書に記された彼らの習俗から、パイワン族は長江流域に発祥した民族で、南中国から稲作民族として、台湾に渡来し、水稲可能な西南部の平野に居住し、流求国という国家を形成していたとみられる。
その後、中国南部海岸にいた先住民が、中国内の民族移動の影響を受けて、台湾へ逃れ渡って平埔族となり、パイワン族などの先住高砂族を平野から山地へ追いやった。そのため、パイワン族は粟を中心とする畑作農耕民となったという。
 
パイワンは伝統的には厳格な社会階級制度があり、頭目、貴族、勇士および平民といった四階級に分けられている。頭目は世襲制で一番目に生まれた子が男女を問わず継承権をもち、頭目だけに許された名前を名乗る。
以前は頭目や貴族だけが特権的に華麗な衣装を身につけていた。
伝統的にはスレートでつくった石造りの家に住み、祖霊の物語や家の起源を貴族は家の前面に彫刻し、平民は衣服の織り方や刺繍で表現した。
素焼きの壷、琉璃珠(トンボ玉)、青銅刀や彫刻が有名。
 
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男性の衣服。長袖上衣、胴衣、股引。
 
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頭目の家。模型。
頭目・貴族階級は地主として農地と住宅を持つ。彼らには土地税、狩りの税、山林税と水源税など税金を取る権利がある。
住宅は広く、門の上に百歩蛇、鹿、人の頭の彫刻、室内には玄関の壁に人の彫刻がある。
広い庭は村民の集会所となり、一段高く司令台があり、その横には石柱があった。
 
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頭目の家。図解。
パイワン族の住居は柱や梁、桁、垂木などは木材を用いるが、大部分はスレート板で造られる。床は一面スレートを敷き、炉を設ける。
屋内には棚を作り、たくさんの壺が載せられて飾ってある。
 
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柱装飾。祖先像。
 
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連杯。単杯。
蛇柄立体人物像文連杯。来義村。
蹲座人物像単杯。来義村。
蛇柄連杯。
連杯は二人が同時に酒を飲む儀礼用の酒器。

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