枋寮から南へ走るバスの車窓。南シナ海を望む。
2016年12月1日(木)。
枋寮漁港でシラスオムレツを食べたあとは駅前のバス停へ急ぎ、窓口で台湾最南端となる鵝鑾鼻(がらんび)までの乗車券を購入。運賃は194元。ほどなく高雄から来た高速バスに13時頃乗車。バスは南シナ海沿いの西海岸を南へ走る。
船帆石が見えるビーチ。
墾丁の街並みを過ぎると、幾つかのビーチがあり、南の海沿いに変わった形の岩が見えてきた。船の帆に見えるらしく船帆石といわれている。
ここを過ぎて、まもなく終点の鵝鑾鼻バス停に14時20分ごろ到着。
鵝鑾鼻公園。入口。
バス停から入口は見えない。運転手に尋ねて、右側の駐車場沿いの道を進む。観光バスの団体客が多い。
日差しはあるものの、風は強いので暑くはない。団体客とともに、園内に入り、左の緩い坂を登り、灯台のある台地へ向かう。
鵝鑾鼻灯台。
太平洋及び南シナ海を分け、南はバシー海峡を隔ててフィリピンと対面して立つ白亜の灯台で墾丁のシンボルにもなっている。灯台は鉄造6階建てで、高さは21.4m。
鵝鑾鼻は日本統治時代には大日本帝国最南端の地で、台湾八景に指定されていた。
この付近は航海上の難所で、1867年米国商船の羅発号が遭難し、上陸した米国人船長夫婦が原住民に殺害され、また1871年には沖縄住民たちが遭難し、原住民に殺される八瑤湾事件が起こり、1874年の牡丹社事件を引き起こした。
清は1875年に英国地理学会に委託して灯台の適地を選定させ、この地を原住民から購入した。
鵝鑾鼻灯台は、英国人技師の指導のもとに1881年起工、1882年に竣工、1883年供用を開始した。
原住民からの攻撃を防御するため、武装灯台という堡塁形式となっており、砲台や壁の銃眼、濠が設けられ、兵士が守備にあたっていた。
1895年清国は撤退時に、この灯台を破壊したが1898年に日本政府により再建された。しかし、太平洋戦争でアメリカ軍の空襲により再度破壊され、現在の灯台は戦後に再建されたもの。光力は台湾の灯台の中でも最高という。
鵝鑾鼻灯台入口付近から北西の墾丁方向。
大尖山のマッターホルンのような姿形が印象的。
鵝鑾鼻灯台入口。
防御用の濠に架けられた橋を渡り、左の展示室を見学。
鵝鑾鼻灯台。案内図。
鵝鑾鼻灯台敷地からの北西方向への展望。
西側の猫鼻頭と共に南湾を緩く囲んでいる。
台湾関界碑。灯台内展示室。
清は台湾に通商口を淡水、基隆、高雄、安平に置いていた。鵝鑾鼻灯台は1883年4月1日に竣工。灯台には4つの境界碑があると恒春県誌に記されている。この境界碑は2016年に灯台の東北辺で発見されたもので、台湾の一番南の境界碑と考えられる。
日本語の説明はありがたいが、脈絡がない。
園内案内図。
台湾の最南端を示す最南点碑が、海岸にあるという記載があったので、灯台から南に園路を下ると、
通行止め看板があったが、無視して海岸が見える地点まで行くと、岩場を通っている園路が掘り返されており、通行不能になっていたので、引き返した。
西側にある通常の園路を現地高校生の団体とともに、景色がいいと記されていた滄海亭の方向へ向かった。
このあたりは、珊瑚礁石灰岩が隆起した地形のようで、高さ5mから10mほどの大岩の間に園路が通っている。
親吻石。
Kissing rock。二つの大岩が僅かな距離で近接している。
右の大岩の上に滄海亭という展望台が設けられている。
滄海亭から北西の方向。西側に猫鼻頭。
滄海亭は単なる展望台だが、10人ほどの観光客がいた。
滄海亭から北北西の方向。
船帆石が見えるビーチ方向。
鵝鑾鼻古代遺跡。又一村。
6500年前から1200年前までの遺跡。洞窟を住居とし、岩の間から流れる伏流水に依拠していた。漁労や貝の採集が生業であった。4段階の文化層が見られる。
主要園路から5分ほど枝道を入った場所にある。
鵝鑾鼻古代遺跡。又一村。
1956年に箱式石棺が付近で発見され、1981年に園路整備中に旧石器時代の洞窟遺跡が発見された。
主要園路から5分ほど枝道を入った場所にある。
最南点碑への歩道閉鎖のお知らせ。
公園入口に戻り、最南点碑へ行けないのか尋ねたところ、工事により閉鎖中と言われた。
入口横に11月24日から12月15日まで閉鎖と書いてあった。
鵝鑾鼻のバス停へ戻り、高雄方面行きのバスに乗り、16時30分ごろ墾丁大通りの警察派出所前バス停で下車。
予約しておいた吉境旅店へチェックイン。
シングルで600元。安いだけあって、外は見えない。シャワーはトイレ便器の横にあり、仕切りがないので実際上は使用不能。
墾丁大通りから眺める大尖山。
頂上部がニードルのような大尖山に感動した。バリハイのようだ。
大尖山は海抜318mで、その外見は角度によって異なって見えるらしい。国分直一も頂上に登って景色が素晴らしかったと言っているので、それほど登頂は難しくなかったようだ。
ただし、近年になって岩石崩落事故がたびたび発生したため、現在は登山は全面禁止となっているという。
墾丁大通りから眺める大尖山。
大尖山は周囲の泥岩層に挟まれた堅い海洋性地殻岩石が、長い時間をかけて浸食され、現在のような尖った峰となったという。
大尖山の地質は、シルト質の泥の沈積物とは全く違い、フィリピンプレートが古台湾地殻にぶつかる過程で、海洋性地殻岩石の一部を挟み込みつつ、泥質沈積物の上側へ移動して出来上がったものという。
夜市の準備にとりかかる墾丁大通り。派出所付近。
17時から夜市が始まるので、その前は閑散としていた。
夜市が始まって、数百mの区間を歩いてみた。人通りは多い。海産物類の屋台が特徴的だった。海岸沿いなので風が強い。
翌日は、恒春北の車城から石門古戦場と四重渓温泉へ。