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Channel: いちご畑よ永遠に
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台湾 屏東県 四重渓温泉 清泉日式温泉館 牡丹社 屏東市 屏東夜市

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牡丹郷公所。
2016122()
石門古戦場の見学を終え、現在の牡丹社がどうなっているのか、原付という移動手段を確保したため時間の余裕もでてきたので、少し奥へ進むことにした。
石門古戦場から10分ほどで、道路沿いに商店街や住居が立ち並ぶ街路に到着した。牡丹郷行政大楼という立派な建物があった。
12時近くになっていたので、付近にある農協のス-パーでパンと飲料を購入し、昼食とした。
 
この辺りは新しく出来た牡丹社で、牡丹社事件時代の牡丹社はさらに北東10㎞ほどにあり、現在は建物の礎石程度しか残っていないということは知っていたが、正確な位置やルートまでは知らない。
 
牡丹社事件発生時、牡丹社は女仍渓と牡丹渓間の山の中にあり、牡丹社(現在の牡丹山東側の中腹)、牡丹中社(現在の牡丹山北側斜面)及び女仍社の三つの部落に分かれていた。
1906年日本は定住農業と水田耕作政策を実施し、現在の牡丹ダム附近tataqanという地域に水稲を植え、開墾した。
1931年日本政府は管理を便利にするために、部落を集中させる政策を実施し、原住民部落を全面的に移住させる計画を開始した。
1935年道路が牡丹村附近まで切り開かれ、牡丹社、牡丹中社及び女仍社の三つの部落が現今の牡丹村の位置に移動を開始した。日本は家族を単位とすると規定した。いくつかに分かれて牡丹国小附近に移住し、まとまって移ったわけではない。
1945年大台風が発生し、部落の家がすべて吹き倒れた。ここにいたって、交通に便利な道路の両側に居住を始め、現在の牡丹村を形成した。
 
牡丹郷公所のある辺りが一番人口が多いようだが、ここには石門国小があり、牡丹国小のある上牡丹は北東へさらに5㎞ほどの地点となる。
 
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屏東牡丹聖保祿堂。カトリック教会。
道路を少し奥に走ると、街並みが途切れかけたところに教会堂が見えたので立ち寄ってみた。
原住民族はほとんどがキリスト教信者になっている。宗派は様々だが、パイワン・ルカイ族の教会建築は装飾がユニークである。ルカイ族の集落である霧台の教会が旅名人ブックスで紹介されており、原住民的な装飾に興味を持ったので、ひょっとしてと思って、立ち寄ったのだが、予想通り外壁に装飾があった。
 
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牡丹大橋から牡丹ダム方向。
 
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牡丹ダム方向への展望。
ダム付近に古代遺跡への道標があったので脇道を入り、山間部の枝道へ20分ほど進んだが、道標がなくなったので、四重渓温泉方面へ戻ることにした。途中に展望台があったので写真を撮った。明治7年の日本軍もこんな風景の中を進軍しのだろうとは思う。
 
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牡丹郷公所の北数百
mの牡丹民宿付近から石門山(虱目山)方向。
 
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牡丹郷公所の南数百
m地点から石門山(虱目山)方向。
 
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四重渓温泉。清泉日式温泉館。
台湾では北投、陽明山、関子嶺、四重渓が四大温泉といわれる。
1898年ごろに建てられた山口旅館が前身。1930年に高松宮宣仁親王が新婚旅行でこの旅館に宿泊した。
13時頃到着。受付で露天風呂入浴料250元を払う。シャワーキャップを借りる。
 
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清泉日式温泉館。露天風呂。
露天エリア左奥にある20元のコインロッカーに荷物を詰め、更衣室が見つからないので、服も詰め込んだ。
浴池はロッカーの手前や奥の屋根付きなど5つほどある。中頃に2階建ての休憩所があり、多くの人がイスに座っていた。
炭酸泉の泉質は無色透明で無臭で、取り立てて素晴らしいほどのものでもない。
 
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湯の出。温泉の源泉。
ホテル前にある。左は日本語で5080度の源泉と書いてある。
 
車城へ帰るため、原付に乗ろうとしたら、燃料計がゼロになっており、エンジンが始動できなかった。着いたときは30%ぐらいだったので、ガソリンを盗まれたのかと思った。原付を手で押して歩き、近くの店でガソリンスタンドはないかと尋ねたら、石門方向を指で示された。道路を300mほど歩いてもない。6人ほどの男女が道端にいて、どうしたんだと尋ねてきたので、燃料切れだと答えた。男が燃料口を覗き込み、次ぎに女が原付を揺すると変化が起きた。女がレバーを握ると、エンジンがかかった。「ありがとう」と言うと、日本語を話せる婆さんと会話しろと、女は原付の後ろに私を乗せて、清泉の入口付近の商店に連れていった。店の奥に入ると、90歳ぐらいの婆さんが起きてきて、どこまで乗るのか、大丈夫かと心配して日本語で尋ねてくれた。私は、エンジンが動くことができたので、問題ないと答えて、その場で2人に別れを告げて、車城へ向かった。
 
車城のレンタルバイク屋に帰り、払い忘れた料金400元を支払った。女店員に燃料計の件を尋ねるとそういう構造になっているようだ。日本では普段乗らないし、国内で時々レンタルで乗ることはあるが、残燃料があっても燃料計がゼロになったのは初めての経験だった。
 
1430分頃に、車城バス停のよろず屋で屏東市行きの乗車券を購入。236元。枋寮までにして、そこから鉄道に乗り換えた方が良かったが、乗換えが面倒に感じた。
 
17時過ぎに屏東駅前のバスターミナルに到着。屏東はネットで予約できなかった。歩き方にある駅前の飛馬大飯店へ行った。1050元と言われたが、高いと言うと、900元の部屋を紹介された。
 
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屏東夜市。
駅前から歩いて10分ほど。歩き方に書いてあるように、信号が変わるたびに、バイクの群れが店先を通過したり、停まったりするが、危険ではない。
 
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屏東夜市。
 
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屏東夜市。
海産系が多い。
 
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魚丸湯。
サバヒーなどで作った魚のつみれが入ったスープ。
 
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慈鳳宮。
屏東駅の北へ5分ほどの場所にある。色彩の派手さと彫刻の精緻さは台湾でも有数という。
屏東には日本軍の飛行場があったので、日本式建築も残っているが、疲れたので行かなかった。
 
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慈鳳宮。
町の人達は媽祖廟と呼んでおり、屏東の人々の信仰の中心となっているようで、夜も参拝者がいる。
 
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朝の慈鳳宮。
2016123()。本日は、ルカイ族の村「霧台」、その麓の町「三地門」の原住民族文化園区を見学し、高雄で宿泊する行程。

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