屏東県のルカイ(魯凱)族の村「霧台」手前の入境検問所。
2016年12月3日(土)。本日は、ルカイ族の村「霧台」、その麓の町「三地門」の原住民族文化園区を見学し、高雄で宿泊する行程。
屏東客運のバス時刻表を検討し、屏東バスターミナル7時45分発、霧台9時20分着、11時30分発、三地門12時15分着の方法しかないと判断した。先に三地門だと、霧台からの帰りの便が遅くなる。
屏東バスターミナルから7時45分発霧台行きの山間道路対応の小さいバスに乗車。客は学生が多く10人弱。平地を50分ほど走り、三地門へ着く。ここは確かに、山へ入る手前の町だった。
運転手から回覧板が回され、住所・氏名・パスパート番号を記入する。橋を渡ると郷公所のある台地を登り、その先は天を突くような山へ向かって登って行く。途中には霧台谷川大橋がある。
霧台村の手前に、入境検問所があり、運転手が名簿を提示する。日本統治時代からの名残りで、原住民地区への入域に制限がある地区がまだあるという。管轄する警察署で入山を申請する必要があるらしい。霧台は最近緩和され、バスでの名簿記入で済むようになった。
霧台。終点のバス停。
狭い階段の上は中山巷で文化広場、小学校、ルカイ文物館がある。標識がないので、気が付かなかった。
霧台周辺案内図。バス停横の案内図。
霧台村の中心地である神山地区と、さらに上奥へバスで10分ほど登った高台に芸術村がある。
霧台村の中心地である神山地区の案内図。バス停横の案内図。
霧台を知ったのは、旅名人ブックスで見たカトリック教会の人間型イスの木彫と、「現代台湾を知るための60章」での推薦記事。地球の歩き方で、特集記事があったこと。
イスの木彫は霧台天主堂にあるのだろう。内部見学が可能としたら、1時間程度で芸術村を見学し、徒歩で神山地区まで下って、天主堂を見て、付近のバス停から乗車できるのだが、事前に予測しがたい。
芸術村街区図。バス停横の案内図。
歩き方によると、石板造住居が見所で石板巷と中山巷に残るという。図面によると、岩板巷(芸術街)は左にあるので、石板巷へ行こうと道路を左へ進んだが、間違いだった。しかし、景色はよかった。岩板巷も石板巷も実は同じだった。
バス停上の一帯が中山巷、その上に石板巷がある。両者は同じ台地の上下関係にある。
歩き方の地図は正しいが、立体感がなく、車道以外は歩道的な道という実感がつかめない。岩板巷も石板巷も実は同じ地名だった。
芸術村地区には観光バスも来ていた。ルカイ族は木彫に優れているので芸術村というコンセプトで客をよんでいるようだ。杜巴男紀念館は、事前予約が必要らしく見られなかった。しかし、バス停上にあるルカイ文物館でルカイ族文化は充分実感することができた。
歩き方の写真にある伝統様式の民家は地図にある「頭目屋」敷らしいが、捜しても分からずに見逃した。
バス停から左へ進む。右側の建物。
バス停から左へ進む。霧台復臨安息日会教会。
Seventh day Adventistchurch. 内部を覗いたが普通のイスだった。
霧台芸術村地区の風景。
さらに道路を進み、茶店へ来ると、素晴らしい霧台の風景を見ることができた。中央に車道があり、上の高台中央に霧台基督長老教会がそびえる。下が
霧台復臨安息日会教会。
おかしいなと思い、茶店の人に尋ねると、石板巷は先ほどのバス停の上だというので、戻ることになった。
.高地性集落は弥生時代の集落やペルーのチャチャポヤスなどと共通している。
霧台基督長老教会と石板レリーフ。
同じバスに乗っていた台湾人女子大生と出会い、写真を撮ってもらった。
石板レリーフ。
百歩蛇の文様が彫られているので頭目夫婦の彫像らしい。道を右に下れば頭目の家があったのかもしれない。
石板レリーフ。
カタカナで「タカナオ ラバオソ」「アブルガ」と彫られている。日本統治時代には原住民族の共通語は日本語であったので、その時代以降の制作ということになる。
霧台基督長老教会。
石造的な雰囲気とルカイ族的な雰囲気が味わえる。
女子大生と一緒に1階や2階を窓越しに覗いてみたが、彫刻のあるイスはなかった。
女子大生と別れて、上部の石板巷へ向かう。
民宿のようだ。10年ほど前から民宿泊が盛んらしい。
建物の壁一面にスレートが見える。立っている石柱の下部に彫刻がある。
露店。
山芋の焼き餅を購入。腹が減っていたせいか、美味い。
愛玉ゼリーの茶店。
愛玉子はクワ科イチジク属のつる性植物で、その果実から作られるゼリーのデザートをオーギョーチという。
石板巷なかほどの、眺めのよい茶店に入り、ネット記事で薦められていた愛玉ゼリーを食べた。
愛玉ゼリー。
見たままのねっとりした食感。
茶店からの風景。
眼下に霧台国民小学校が見える。イベントがあるらしく、スピーカーで大きな声が聞こえていた。
茶店からの風景。
霧台国民小学校の右側に霧台基督長老教会が見える。
茶店のおばさんに杜巴男紀念館の場所を尋ねると、すぐ上だというので、向かった。