和歌山県新宮市熊野川町嶋津の山から見る三重県熊野市紀和町木津呂の絶景。
三重県の東紀州地域を2017年1月31日から2月8日まで9日間で車中泊旅行した。
自宅・名古屋からの往復走行距離は約800㎞、ガソリン代約6200円。温泉・銭湯入浴料は4施設で2050円、資料館入館料は300円。
見学ポイントは世界遺産熊野古道伊勢路を含め、山川出版社の「三重県の歴史散歩」をもとに選別した。2月2日に花の窟で「お綱かけ神事」があったので、行程を調整した。熊野古道歩きは、駐車場登山口から峠までの片道往復となった。なお、2014年2月に熊野古道伊勢路の八鬼山越えを、2015年11月には中辺路の一部を歩いている。
紀北町は、長島城跡、長楽寺、きいながしま古里温泉、熊野古道・ツヅラト峠、熊野古道・荷坂峠、熊野古道・馬越峠、天狗倉山。
尾鷲市は、尾鷲神社、土井本家住宅、曽根城跡、熊野古道・曽根次郎・太郎坂、熊野古道センター、夢古道の湯、九木神社。
熊野市は、熊野古道・波田須の道、徐福の宮、熊野古道・大吹峠、熊野古道・松本峠、紀南ツアーデザインセンター、世界遺産・花の窟、獅子岩、鬼が城、産田神社、熊野市歴史民俗資料館、大馬神社、みはま湯、大丹倉、赤木城跡、田平子峠刑場跡、丸山千枚田、滝百選「布引ノ滝」、紀和鉱山資料館、湯ノ口温泉、水車谷鉱山跡。
御浜町は、風伝峠、引作神社。
紀宝町は、神内神社、鵜殿城趾、貴禰ヶ谷社。
和歌山県新宮市熊野川町は、嶋津の山から見る熊野市紀和町木津呂の絶景。
世界遺産熊野古道・荷坂峠。
2017年1月31日(火)12時頃、名古屋市守山区のスーパーを出発、国道23号線から42号線に入り、紀伊長島の上部にある荷坂トンネル伊勢側入口に16時頃到着。
熊野古道・荷坂峠は沖見平までの往復30分ほどと読んでいたので、世界遺産熊野古道伊勢路歩きの今回の第一歩をここから始めることにした。
トンネル手前の駐車スペースから海側へ数百m歩くと、荷坂峠に着いた。未舗装道ながら、ここまで車での進入は可能だった。
荷坂峠は三重県度会郡大紀町と北牟婁郡紀北町の間にある峠である。峠には茶屋があり、昭和10年頃まで営業していたという。
紀州への玄関は長らくツヅラト峠であったが、江戸時代初期に紀州徳川家の藩祖・頼宣が入国して以来、東寄りの荷坂峠越えが正式ルートになった。ここからは下り坂のコースで、途中にある沖見平からの眺めは素晴らしく、ツヅラト峠と同様、紀伊の海が下方に広がっている。
荷坂峠からの降り口。
途中見下ろすJR紀勢線の線路には、実際に列車が走ってきて、奇遇であった。10分弱で、沖見平への分岐に着き、10mほど歩いて、沖見平に到達。
沖見平。
伊勢から熊野へ向かう巡礼者が、はじめて熊野灘を望むことができる場所であった。
沖見平から眺める熊野灘。南の紀伊長島方向。
津々浦々という海国日本の原風景が望まれる。
鈴木牧之の句碑。木製。
長嶋や 世を遁るなら 此のあたり
嶋山や 霞もこめず 千々の景
越後魚沼郡塩沢の商人・鈴木牧之(1770~1842)は随筆『北越雪譜』で知られる文人でもあった。
家業は小千谷縮の仲買と質屋を営む豪商で、牧之27歳の寛政8(1796)年1月初め同行者数人と郷里を出立し、伊勢参宮ののち熊野を訪れ、西国三十三カ所の札所巡りをして、4月初旬に帰ったが、この時の紀行文を「西遊記神都詣西国巡禮」と題し書き残している。
荷坂峠の頁には、「ニサカ峠に見渡せば、海上の絶景筆に尽しがたく、世の人の只熊野路は恐ろしき噂のみ聞へけるにさはなくて、長嶋の町まで一目に見おろす風情いわむかたなし」とある。
天保8(1837)年に出版された、当時のベストセラー「北越雪譜」は30年ほど前に一読したが、伊勢路との関わりは知らなかった。神さびた海景色に心動かされた牧之は、遁世者鴨長明のように庵を結びたかったのかも。
道の駅「海山」で、車中泊。
2月1日は馬越峠、天狗倉山、熊野古道センター、夢古道の湯、九木神社、獅子岩を経て、花の窟へ。