九鬼港。尾鷲市九鬼町。
尾鷲市街南東部にある熊野古道センターから八鬼山山腹のトンネル群を通って九木神社へ向かった。摂津三田藩、丹波綾部藩の近世大名家である九鬼家および九鬼水軍の発祥地とされる九鬼湾を見ようと訪れた。
海面が見えてから、かなりの距離を海岸沿いに進み、ようやく漁船が停泊する港と九木神社の下の岸壁に着いた。九鬼湾は半島に囲まれた幅の狭い縦深型の水面で、熊野灘という荒々しいイメージとは対極の静かな湾であった。
九鬼水軍は鎌倉時代にはここ九鬼湾を本拠としていたが、志摩国の波切へ本拠を移したのは南北朝時代とされる。
九木神社。
九木神社は九鬼湾入口のやや半島状に突出した小さな岬の上にあり、神域として古木を多く含む森は国の天然記念物に指定されている。
九木神社
社伝によれば、永和年中(1375~1378)藤原隆治により、九鬼城内の祠に天満天神を祀ったのを創祀とし、後寛文2年(1662)には現在の鎮座地に遷座したと伝えられている。
九木神社の宝物の一つの大太刀は、寛文9年(1669)丹州綾部藩主九鬼隆季が、九鬼嘉隆をはじめ先祖の出身の縁により、九木神社へ奉納したもので、九鬼氏父祖の地として認識されていたことが分かる。
三木里から北上すると、ナビになかった熊野尾鷲道路に入り、あっという間に熊野市大泊に着いた。鬼ヶ城のトンネルを抜けると、七里御浜の海岸が見え、獅子岩が見えてきた。北からは逆光になるので、南側の展望台を捜す。
獅子岩。世界遺産、天然記念物、名勝。
地盤の隆起と海蝕現象によってうまれた高さ約25m、周囲約210mの奇岩。井戸川河口部にあり、上流に位置する大馬神社の狛犬とされている。
国道海側にある展望台は喫茶店の駐車場にあるが、喫茶店が閉まっていたので駐車して撮影した。
花の窟。熊野市有馬町。
世界遺産「花の窟」は、日本書記に「国うみの舞台」として登場する日本最古の神社といい、祭神は、「イザナミノミコト」と「カグツチノミコト」である。他の神社と異なり社殿がなく、花の窟が神社になったのは明治期であり、ご神体は高さ45mの岩(窟)で、熊野三山や伊勢神宮成立以前の磐座信仰の名残りを残している。
日本書紀の一書には「イザナミは、火の神カグツチノカミを生むときに、陰部に大火傷を負って死んでしまった。その遺体は紀伊国の熊野の有馬村に葬られた。村人は、この神の魂を祭るのに、花のときは花をもって祭り、鼓・笛・幡旗をもって歌ったり舞ったりして祭る。」と記されているという。
現在も2月2日と10月2日には、お綱かけ神事という例大祭が行われており、事前の調べでは2月1日16:30から宵宮(花車の練りともちまき)、2月2日10:00~御祓い、10:30~「お綱かけ神事」、浦安の舞・乙女の舞、11:30~神事終了、もちまきということだったので、2月1日16時までに着くように行動した。
15時30分過ぎに道の駅「花の窟」の駐車場に到着。花車の練りともちまきがあるのかと、鳥居から参道を抜け、参篭殿を経て、ご神体の下に行くと、舞姫姿の少女を含む10人ほどの人々がいたが、神事ではなく、打ち合わせをしていたようで、すぐにいなくなってしまったので、どうも宵宮はないようだと気づいた。
赤い毛氈は翌日の神事用に設えられたものであった。
花の窟。お綱かけ神事の説明図。参篭殿。 (拡大可)
花の窟。
参篭殿にお綱かけ神事の説明図があったので、御神体上部から吊り下げられた綱に気づいた。前年10月の神事のもののようだ。
花の窟。
花の窟。国道の海側から。
花の窟前から北の鬼ヶ城方向の七里御浜。
道の駅「花の窟」の駐車場で泊ろうとしたが、看板に禁止表示があったので、10分余り南の道の駅「七里御浜」へ移動して車中泊。