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三重県東紀州 花の窟 お綱かけ神事 その2 巫女の舞

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お綱かけ神事。花の窟。三重県熊野市。
201722日(木)。
11時頃、お綱かけ神事の主要部分が終局に向かい、綱の一方が国道脇の柱に結び付けられていく様子をみながら、人々の流れに添って花の窟神社の境内へ向かうと、神主、巫女、氏子、来賓らが花窟神社境内へ参集していた。
前半と同じく、左の石垣外側の高みから見物した。
神主により、祝詞が読まれ、厳かに神事は進んだ。 

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お綱かけ神事
。浦安の舞。花の窟。お綱かけ神事。
祝詞の後、巫女4人により、二人二組で、浦安の舞、豊栄(とよさか)の舞が奉納された。
ネットで調べると、小学校4年生らしい。昨日1530分頃に打ち合わせを見た時も、その程度の年齢だったので、そうなのだろう。
 
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巫女の舞。浦安の舞。花の窟。お綱かけ神事。
 
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巫女の舞。豊栄の舞。花の窟。お綱かけ神事。
 
その後、熊野市長や関係機関・個人らによる玉串の奉納が15分ほど続いた。
その後は、待ちに待った、餅まきとなる。狭い境内に人々が群がる。石垣の内側に回り込むと、前列の人はしゃがみこまねばならず、窮屈で餅を拾うどころではない気分になった。
石垣の上に3人ほど氏子が立ち、桶から餅を撒く。ダイレクトに餅を取ることはできず、体の周辺に落ちた餅を3個ほど拾っただけだった。
こうして12時ごろ、祝祭は終わった。
 
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さんま寿司と「お綱掛け神事」の版画をもとにした包み紙。
さんま寿司は500円。10時前に、お綱茶屋の屋台で購入しておいたので、車の中で食べた。
 
版木原画は天保151844)年のもので、お綱掛け神事による綱が御神体に掛けられた景観が示されている。
版木は25日に見学した熊野市歴史民俗資料館に保存展示されていた。江戸時代には国道はない。松並木は大戦末期まで残っていたが、ガソリン不足を補う松根油採集のため、ほとんど伐採されたという。
中景左の繁みは産田神社で、古代このあたりは海が進入していたとのこと。
13時近くになり、すぐ北にある鬼ヶ城見学へ向かった。

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