旧鶯料理店。
2016年12月5日(月)。台南市。
大天后宮から南東の旧台南測候所・気象博物館方面へ向かって歩き、北極殿を超えると、日本人の老男性二人がカメラ片手に散策して姿があった。その先に旧台南測候所と手前に、日本家屋が見えてきた。
これは、鶯料理店という高級料亭の一部で、大正15年に天野久吉が開業し、日本統治時代は上流社会の社交場として繁栄していたという。
旧鶯料理店。
土地建物は1951年に国有になり、2008年に台風により敷地内の主な建物は倒壊したが、残った3分の1部分の建物を2013年7月に台南市が修復公開した。
10時から21時まで無料開放されているが、月曜日は休園らしく、門は閉じていた。
歩くとすぐに、旧台南測候所の裏手にある入口に着いた。
旧台南測候所・気象博物館。
旧台南測候所は1898(明治31)年に落成した現存する台湾最古の気象観測施設で、中央の塔はその形状から「ペッパーミル(胡椒管)」の愛称で親しまれていたという。また、「鷲嶺台地」と呼ばれた当時の台南で最も高い場所に建造されたこの建物は、高層ビルがなかった頃の重要なランドマークでもあった。
日本統治時代においては台湾各地に測候所が設置されたが、台南測候所は唯一残った歴史的な測候所である。内部は、気象博物館として、草創期の気象観測史料のほか、ウィーヘルト式地震計も展示されている。
台湾人ガイドが常駐しており、案内してくれたが、中国語しか話せないのが残念。
旧台南測候所・気象博物館。南側から。
1895年から始まった日本による台湾統治にあたり、台湾総督府はインフラ整備を展開した。その中で、台湾の経済と生活を掌握するためには、気象観測が極めて重要なポイントになると考えた。翌1896年、台湾総督府の通信課長であった土居通豫は中央気象台の協力の下、台湾に気象観測の設備を構築することを計画した。同年3月、台湾総督府民政局に測候所に関する部署が誕生した。同年7月12日、台北測候所、台中測候所、台南測候所、恒春測候所および離島の澎湖測候所の5つの測候所の所在地と名称が決定された。台湾測候所の予定地は、台南市中心部で最も標高が高い鷲嶺と呼ばれる地域と決まった。
1998年、気象観測業務を完全に終了し、同時に台南市政府から市定古跡に指定された。19世紀末の希少な大型建築物であり、同時期に建設された測候所は日本国内のものも含めてほとんど取り壊されている事などから、建物の大規模改修を経て2003年に内政部から国定古跡に指定された。
左の七階建ての建物は中央気象局台湾南区気象センターという新庁舎で、1階は現代の気象観測に関する博物館となっている。
赤レンガの外壁。旧台南測候所。
建物はレンガ造りを基本とし、建造時には屋根に黒瓦が用いられていた。建造時に漆喰塗りだった外壁は赤レンガに変わっている。
修復工事の状況、旧台南測候所。
1978年には新庁舎の完成で取り壊し案も出たが、歴史的価値があるとする職員から反対され中止となった。1998年に測候所としての役目を終えたが、同年に台南市が市定古跡に指定。2003年には国定古跡に昇格し、修復を経て2004年からは気象博物館として活用されている。
構造模型。旧台南測候所。
主体は正十八角形の円形の建物と広い煙突塔楼の二部構成となっており、中央には白い円柱があり、環状の屋根は18 等分に分割している。屋根には扇形の黒い文化瓦を舗設して、18 面の環状外壁にも延伸している。
旧状図。旧台南測候所。
屋根には扇形の黒い文化瓦を舗設して、18 面の環状外壁にも延伸している。
旧状図。旧台南測候所。
下部の層は直径約15m、面積は約180㎡となっている。中央部からは直径約3m、高さ約6.5mの白色の塔(風力計)が突き出ており、塔の最上部まで含めた高さは約11.6mとなっている。
下部の層の屋根には塔から18本の隅棟が伸びている。
室内配置図。旧台南測候所。
東西方向と中央の塔の外側に廊下が設けられ、塔を取り囲むように所長室、予報室、観測作業室、当番室、地震室、通信室など6つの執務室が設置されていた。
内部。旧台南測候所。
精工舎の柱時計。台湾全土の気象観測所配置図。
精工舎の柱時計。旧台南測候所。
展示資料。旧台南測候所。
沿革史や当時の備品など。
観測用の塔に昇る螺旋階段。旧台南測候所。
中央塔と入口。旧台南測候所。
地震計。2倍強震計。旧台南測候所。
1933年から1988年まで観測した。
地震計。旧台南測候所。
旧台南測候所を10分余り見学して、隣の気象センター1階の気象観測に関する博物館を見てから、ロータリー(湯徳章記念公園)方向へ向かった。