国立台湾歴史博物館。
再現された日本統治時代の家屋や街並み。雑貨店、呉服店、写真館、喫茶店、診察所など。
2016年12月4日(日)。台南市安南区。
鳥居龍蔵とヤミ(タオ)族の船。1897年。
鳥居龍蔵は明治29(1896)年に東京帝国大学から派遣されて、台湾での人類学調査に着手し、1911年までの間に、5回の調査を実施し、原住民族の言語・風俗・習慣を記録し、多くの写真を撮影した。
1913(大正2)年のタイヤル族キナジー蕃との戦闘。
2,778名の軍・警察が出動、245名の死傷者を出し、1,368挺の銃と1万2,469発の弾薬を押収した。
1906(明治39)年から1915まで第5代台湾総督を務めた佐久間左馬太は銃器押収を主眼とする五ヶ年計画理蕃事業を推進し、1914(大正3)年の「タロコ戦役」まで、原住民族との戦闘が続いた。
蕃童教育所。日本統治時代の台湾において設置された台湾原住民児童に対する初等教育機関であり、教師は全て日本人警察官が兼務した。
台湾人の子弟への第一段階の教育機関は公学校である。
原住民族。
霧社事件。霧社公学校校長官舎での惨状。
1930年10月27日に台湾の台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった台湾原住民セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社300人が、霧社公学校の運動会を襲い日本人約140人が殺害された。日本時代後期における最大規模の抗日暴動事件。
霧社事件での投降を呼びかけるビラ。
「ハヤクコウサンスルモノハ、コロサナイ。コウサンスルモノハ、テツポウヲすて、リヨウテヲアゲテ、マヘボバンシャヘデテコイ。」
カタカナで書かれているのは、原住民族たちに主としてカタカナで教育を行っていたためである。
米糖相剋問題。
台湾米の日本への輸出が成功したため、農民たちは米の増産に励んだため、サトウコビの生産が減少した。総督府は砂糖の生産コストを下げるため、砂糖会社の収益を確保するため、サトウキビ生産を増やす各種の方策を講じた。
ポスター。銃後の総親和。第2回総選挙。台湾自治協会。
1935年11月地方自治議会議員の第1回総選挙が実施された。選挙権は25歳以上で選挙区に6か月以上居住し、毎年5ドル以上の税を支払った男性のみに制限されていた。
被選挙者は公学校卒業者で日本語に堪能なものに限られた。総督府の努力により、投票率は95.9%に達した。
選挙標語。
公学校高等科国語読本巻一。総督府発行。
優等生になれる国語の新研究。第五学年用後期。台湾図書株式会社発行。
教育勅語。 (拡大可)
公学校用国語読本。
公学校修身書。
ポスター「南無警察大菩薩」。台北州警察衛生展覧会(1925年)写真帖(1926年)より。
左手に数珠。右手に剣。「左側通行」、「思想取締」、「犯人逮捕」、「救助救護」、「蕃人授產」、「惡疫豫防」という警察の六大任務を示す。
再現された嘉義市東門町派出所。
嘉義市東門町派出所。2010年歴史建築に指定。面積約20坪。事務所1部屋、居間3部屋。留置所はない。赤色灯。樋。ポーチ。
日本帝国海外旅券。明治39年9月発行。
タカサゴビール。
仁武丹。
17時頃に博物館を出て、路線バスに乗り、台南駅前に戻った。宿泊は駅前の鉄道大飯店。2泊で4482円。欧米個人客の利用も多い。朝食は下のコンビニとコーヒー店を利用でき便利だった。歩き疲れたので、夕食は南に徒歩10分ほどの屋台街を利用。翌日は月曜休みの飲食店があったので、失敗した面もあった。台南はもう一度訪れてもよい町なので、良しとしよう。