2016年12月6日(火)。台南市。
八田與一は、台湾では中学校の歴史教科書『認識台湾』にも掲載され、子供からお年寄りまで、最も尊敬される日本人として知られている。
彼の功績は、戦前台湾の農業用水施設としてのダムや関連施設を建設したことにあり、中でも最大の偉業は、台南の烏山頭水庫(ダム)と嘉南用水路で、台湾最大の穀倉地帯が生まれた。
そのため、土地の人は八田技師に感謝し、銅像や記念館を同地に造り、毎年彼の命日5月8日には追悼式をあげている。
復元された八田與一邸の手前に展示館と購買部の建物が並んでいる。
嘉南大圳(かなんたいしゅう)は、1930年(昭和5年)に竣工した台湾で最大規模の農水施設であり、日本統治時代の最重要な水利工事の一つであった。
台湾総督府は、曽文渓と濁水渓を水源として、官田渓の水をせき止め、さらに隧道を建設して曽文渓から水を引き込んでダムを建設する農水施設を作ることとした。
設計は総督府の技師八田與一が担当した。1920年9月に土木工事を開始し、総工費5,414万円をかけ、1930年4月10日に竣工した、工事は、まず当時東南アジア最大だった烏山頭ダムの建設から始まった。その後水路が開削されて曽文渓と濁水渓二つの水系を接続した。
八田は前例のない工法のためアメリカ視察を行い、400万円の費用で、パワーショベルなどの大型機械を購入することにした。高価な土木機械の購入は組合や業者が反対した、八田は「この大工事は人力ではいつまでたっても終わらない。高価な機械を使って早く終わらせば、それだけ早くお金になる。」と説得し導入を決定した。
莫大な量の土石を運ぶために、およそ20km離れた曽文渓まで軌道を敷設して、ベルギー製の蒸気機関車を運行した。
堰堤の南にある余水吐は、長さ636m、入口の幅124m、出口の幅18m、60個の放水穴があり、最大勾配6分の1、最大放水量は毎秒1500㎥で、水位が58.18mを超えると自然に官田渓に流れ込むようになっている。
六甲尋常高等小学校。
展示館を出て、向かい側の購買部へ入る。
「絆の桜」の文字を教えたボランティア・ガイドの女性もついてきて、購買部担当の女性と話をしていた。
茶
芸道具一式。
八田與一記念公園の見学を終え、烏山頭ダムの堰堤にある八田與一の銅像へ向かった。