2016年12月6日(火)。台南市。
八田與一記念公園の見学を終え、烏山頭ダムの堰堤にある八田與一の銅像へ向かった。記念公園入口には地元民の露店が出ていた。幅広の歩車道を歩き、ゲート近くに来ると、大きな建物があった。
2002年に嘉南農田水利会と台湾化学繊維が共同出資して建設した台湾で初の民営水力発電所。ダムから送水口までの20mの落差を利用した水力発電所で電力は台湾電力に販売している。
1920年から1930年まで使用された。長さ6.26m、高さ2.882m、重量12.5t、水槽容量1.5㎥、動輪直径0.726m、牽引重量218t、最大時速25㎞。
建設用の用材を運搬するために、ダムと隆田の間にナローゲージの鉄道が敷設された。ダムから約20㎞離れた大内の石仔瀬にあった曽文渓の川底から、小石・土砂・粘土が混じった土壌を運び、総延長1237mの堰堤を建設するために用いた。
蒸気機関車は旅客・作業員の交通手段としても使用された。
坂道を登り、堰堤に至るとSLが展示されていた。
日本の高校生が100人ほどやってきた。
SL展示場左側の小高い場所に八田與一の銅像と夫妻の墓がある。台湾人観光客の一団がおり、のちに日本の高校生もやってきた。
八田與一の銅像は、ダム完成後の昭和6年(1931)七月に建立されたが、戦争末期の金属類回収により、供出され行方不明になっていた。終戦早々に嘉南農業水利組合の職員が偶然に隆田の倉庫で発見して、買い戻し、事務所の2階で密かに保管、昭和56年(1981)になり、再び元の位置に建立し直した。
八田與一の銅像は坐像で、與一が座り込んで左のこめかみの髪の毛をつまんで考え事をしていた姿を表現している。
八田夫妻の墓は、昭和21年(1946)十二月に建立された。
北端から南端まで30分近く歩いた。
ダムの堰堤はセミ・ハイドロリック・フィル工法と呼ばれる工法で、これは堰堤の中心部にコンクリートの芯を作り、周囲を石や粘土で覆い堤にするもので、石や砂利、粘土が混合した土石を盛った後にポンプで水をかけることによって、粒子が細かな土ほど堤防の中心部に集まり、強固な層ができるという仕組みである。
この方法でダムを造るとダム湖に土砂が堆積しにくく、地震に強い等の利点がある。近年これと同時期に作られたダムが機能不全に陥っていく中で、しっかりと稼動している。
烏山頭ダムは、当時の民政長官・下村海南によって珊瑚潭の美称が与えられた。
珊瑚潭遊覧の宣伝板をあちこちに見かける。
小島が点在している。
堰堤の南にある余水吐は、長さ636m、入口の幅130m、出口の幅18m、60個の放水穴があり、最大勾配6分の1、最大放水量は毎秒1500㎥で、水位が58.18mを超えると自然に官田川に流れ込むようになっている。
堰堤の南端から西へ歩道を歩き、烏山頭ダムのゲート入口方向へ帰っていく。
対岸の集落へ渡るために設けられたようだ。女性客が歩いていったので、私も途中まで歩いてみた。
この付近には模擬の天壇と休憩所・駐車場がある。12時頃だったので、休憩所で昼食代わりの菓子と飲み物を購入。
烏山頭のバス停から13時の善化行きに乗る予定なので時間がなくなってきた。
このあと、妻の八田外代樹が身投げした放水口と八田與一記念館を見学した。