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名古屋市守山区 東谷山 国史跡 志段味古墳群 尾張戸神社古墳 中社古墳 南社古墳 東谷山白鳥古墳 勝手塚古墳

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瀬戸市・猿投山・岩巣山方面。東谷山山頂展望所から。名古屋市守山区。
2017616日(金)。午後から、名古屋市守山区にある名古屋市最高峰の東谷山(198m)に登り、尾張戸神社古墳および登山路(散策路)途中にある中社古墳、南社古墳を見学し、あわせて、東谷山白鳥古墳と勝手塚古墳を見学し、2013年以来見残していた主要な志段味古墳群すべてを見学した。
 
6月初旬に登山靴の靴底張替を依頼したため、使える登山靴がなくなった。アルペンでローカットのトレッキングシューズの特売があったので、購入し、試し履きのため安全な山に登ることにした。
東谷山は20年前に登って以来で、本来登山対象の山とはいえないような山だが、今でも分県登山ガイドには所載されているようだ。前回は南登山口からの往復で、山頂に横穴式石室が置かれていたことを覚えている。
 
ネットで調べると、東谷山フルーツパーク第1駐車場から中社古墳、南社古墳を経由する散策路(登山道)がある。駐車場はイベント時以外無料だが、1630分に閉鎖される。
 
1430分前に着き、駐車場向い側の散策路入口から1433分に登山開始、丸太で土留めされた山道を登り、古墳見学は後回しにして、1451分に山頂到着。
20年前に比べて、展望所や展望台や古墳案内板などが、整備されていた。
東側には展望所があり、瀬戸市・猿投山・岩巣山方面への展望が得られた。
山頂には気軽に登ることができるので、犬の散歩で来る人など5人ほど見かけた。2人は展望所で弁当を食べていた。北側から未舗装の車道があり、自動車で来る人もいて、山頂は賑やかであった。
 
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尾張戸神社古墳。国史跡。
円墳(径約27.5m)。築造時期は4世紀前半とされる。墳丘は2段築成で、墳丘の上部は神社の本殿造営にともない、削平されている。斜面の葺石上には、白鳥塚古墳と同じく多量の石英が撒かれていたと推定され、テラスの敷石の一部にも石英が使われている。
 
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尾張戸神社。
熱田神宮の奥の院ともいわれる。式内社。祭神は天火明命(尾張氏祖神)、天香語山命(天火明命の長子)、建稲種命(天火明命十二世孫、日本武尊の妃・宮簀媛の兄)の3柱。いずれも尾張氏の遠祖とされる神々である。祭神のうち天香語山命(高倉下命)は、大和国高尾張を出て、庄内川対岸の高蔵山に降り立ち、のちにこの東谷山に移ったという。この際に白鹿に乗って川を渡ったといい、その地に架かる「鹿乗橋」に伝承の名残を残している。
 
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展望台。山頂神社北西側。
 
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展望台からの眺望。鈴鹿山脈の御在所岳、鎌ガ岳など。左端に名古屋駅のタワー群。
 
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展望台からの眺望。中央下に庄内川。志段味古墳群は河川交通権の掌握をもとに築造されたことを思い浮かべる。尾張平野中央に小牧山。その奥に伊吹山。
 
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展望台からの眺望。右側は尾張本宮山、尾張富士方面。
 
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東谷山
3号墳の石組み。山頂神社北東駐車場方面。
山頂神社北東駐車場へ歩くと、広い駐車場の手前左側に石組みが置かれていた。東谷山3号墳はこの地ではなく、北西の山麓にあった6世紀後半の径23mの円墳で、横穴式石室の一部が置かれている。
私の記憶では、20年前は神社の西側にあったような気がする。
 
往路を下りながら、古墳を見学した。
 
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中社古墳。国史跡。山頂側から。
後円部北側に、東谷山山頂からのびる尾根を切断した掘割がめぐっている。
 
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中社古墳。
4世紀中頃の前方後円墳(墳長63.5m)。円筒埴輪・朝顔形埴輪・楕円筒埴輪・家形埴輪・盾形埴輪が出土。
東谷山麓から運んできた円礫を用いた葺石の上には石英が撒かれ、後円部頂部には石英が敷かれていたと推定されている。後円部の北側では、4条の突帯がめぐり、各段に3個ずつ三角形の透孔があけられた円筒埴輪が極めて良好な状態で残存していた。
中社古墳の埴輪は、同時期の大王墓が営まれた大和盆地東南部からの影響が色濃く、東海地方では最古段階のもの。
 
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中社古墳。
2015年頃に案内板などが整備されたようだ。
 
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南社古墳。国史跡。
4世紀中頃の円墳(径約30m)。円筒埴輪・朝顔形埴輪・盾形埴輪が出土。
墳丘は2段築成で、葺石の石材を、上段斜面は円礫、下段斜面は角礫と使い分けている。円礫は東谷山麓の段丘から、角礫は東谷山上で採取したもので、山の下から古墳を見上げた時に目立つ上段斜面の葺石に、わざわざ山麓から運んだ石が使われていることは注目される。
 
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南社古墳。
円筒埴輪は中社古墳のものと形態・製作技法が共通するだけではなく、科学分析により使われている土の元素組成も類似することが判明しており、両古墳の埴輪は一体的に生産されたと考えられる。
 
1530分頃に散策路入口に帰着。時間が余ったので、東谷山白鳥古墳と勝手塚古墳を見学することにした。東谷山白鳥古墳はナビになく、場所を特定するのに時間がかった。グーグルマップには記載されていた。
 
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東谷山白鳥古墳。国史跡。
国道155線沿い、東谷橋南交差点東100mの山側にあった。案内看板はない。駐車場もないので、枝道の路肩に駐車。
 
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東谷山白鳥古墳。
6世紀末~7世紀初めの円墳(径約17m)。周溝あり。横穴式石室から馬具・大刀・刀子・鉄鏃・土師器・須恵器が出土した。
 
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東谷山白鳥古墳。横穴式石室。
横穴式石室が、志段味古墳群の群集墳のなかで唯一、ほぼ完全な状態で残っている。石室の平面形は、石室の幅が奥から入口に向かって徐々に狭まっていくもので、床面に並べた人頭大の石の石列で、被葬者を納める玄室と、通路の羨道を区分している。
 
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東谷山白鳥古墳。横穴式石室。
音声案内と内部照明が設置されている。
 
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東谷山白鳥古墳。案内板。
 
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勝手塚古墳。国史跡。
上志段味交差点南の勝手社が古墳の墳丘上に設けられている。南隣の空き地に駐車。
 
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勝手塚古墳。
6世紀初めの帆立貝式古墳(墳長約53m)。馬蹄形周濠と馬蹄形周堤あり。円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋形埴輪・人物埴輪が出土。
勝手社の境内に、墳丘が良好な状態で残存している。周堤が墳丘北側を中心に全体の半分強残っており、愛知県下で唯一周堤の高まりが現存している点で貴重とされる。後円部テラスには密に埴輪列が並べられていた。
 
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勝手塚古墳。墳丘測量図。
 
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勝手塚古墳。
右側の円丘と左側の小さな方形の張り出し部分が残存している。左の高台にも小祠が置かれている。
 
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勝手塚古墳。北側に残存する馬蹄形周濠と馬蹄形周堤。
 
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勝手塚古墳。周濠・周堤部と方形張り出し部の祠。
 
1620分頃帰宅の途に着いた。
古墳群は案内板などの整備が進んでいる。白鳥塚古墳をちらっと見たら後円部墳丘へ石段が設けられているようだが、それぐらいなら石英で葺いてもらいたい。

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