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Channel: いちご畑よ永遠に
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フランス リヨン ガロ・ロマン博物館 古代ローマ大劇場 サン・ジャン大聖堂 織物博物館

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リヨン。ローマ帝国植民地ルグデュヌム時代のリヨン。ガロ・ロマン博物館。2012年6月17日(日)。
古代ケルト時代のリヨンには、ローヌ 川・ソーヌ川の 2つの川岸に、フルヴィエールとクロワ・ルースの 2つの丘を取り囲むように作られたケルト人の集落があり、「コンダット」と呼ばれていた。
BC43年、ローマ人が侵攻、フルヴィエールを治め、この地域はローマの属州となりました。この時新たに付けられた名は“Lugdunum”(ルグデュヌム)。 “Lug”は太陽の神、“dunum”が丘または砦 という意味。
BC1世紀、ローマ皇帝アウグストュスは、ガリア人をリヨン、ベルギー、アキテーヌの3つの属州に分け、リヨンをその首府と定めた。
その後リヨンは、3世紀にわたり、行政・経済・軍事・宗教面で大変豊かな街となったが、3世紀の終りにローマ帝国の繁栄が終焉を迎えると、属州であるルグデュヌムもまた命運を共にした。

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ローマ帝国時代のリヨン。フルヴィエールの丘には大劇場と神殿が建てられていた。

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フルヴィエールの丘の古代ローマ大劇場の模型。約1万人を収容した古代大劇場はBC15年頃建設された。ステージの背後には高さ30mの壁があり、観客は外部の風景を見ることはできなかった。
12時前に、博物館を出た。

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ガロ・ロマン博物館入口から眺める古代ローマ大劇場。
現在でもコンサートや演劇の上演に利用されており、ステージが新設されている。

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ガロ・ロマン博物館入口から眺める古代ローマ大劇場。丘の下には市街地が見える。

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古代ローマ大劇場。6月21日はフランス各地で開催される音楽の日で、コンサートのリハーサルが行われていた。

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古代ローマ大劇場からガロ・ロマン博物館を眺める。同一の高さにあるが、環境に溶け込むように設計されているので、外観は分かりにくい。
滞在中のパリから1泊旅行で来たという日本人女性と立ち話をした。

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サン・ジャン大聖堂の入口からフルヴィエールの丘の大聖堂を眺める。古代ローマ大劇場から斜めに下りてくる坂道を下り、サン・ジャン大聖堂に着いた。

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サン・ジャン大聖堂の入口からフルヴィエールの丘の大聖堂を眺める。

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サン・ジャン大聖堂。リヨン大司教座聖堂。カテドラル。5世紀頃からキリスト教徒たちはソーヌ川沿いにいくつかの教会を建設した。現在の教会は11世紀末から16世紀初頭までにかけて建設された。1245年初めてのリヨン公会議(第13回公会議)が開かれた。1316年法王ヨハネ22世の戴冠式が行われた。1600年、フランス王アンリ4世がマリー・ド・メディシスと結婚式を挙げたとされている。

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サン・ジャン大聖堂。内部。

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サン・ジャン大聖堂。内陣のステンドグラス。13世紀の作品。

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サン・ジャン大聖堂。袖廊のステンドグラス。

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サン・ジャン通り。旧市街では一番賑わっている通り。レストランや土産店も多い。

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ガダーニュ博物館。中世以降のリヨンの歴史を紹介する博物館。サン・ジャン通りの中程にある。
ソーヌ川の橋を渡り、印刷博物館へ。
隣にマクドナルドがあったので、遅い昼食を摂った。

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印刷博物館。復元された15世紀のグーテンベルグ式などの印刷機や古書籍が展示されている。
ホテル近くの織物博物館へ移動。

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織物博物館。壁掛け。18世紀中頃。リヨンの絹織物業は有名で、この博物館も豊富な展示量がある。

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織物博物館。壁掛け。ロシアの女帝エカチェリーナ2世のために1773年製作された。
ルイ14世の命により、王室御用達の絹織物も生産された。同様に各国の王室向けのものも生産された。

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織物博物館。織機。
ホテルに戻り、リヨン郊外にある三ツ星レストラン「ポール・ボキューズ」の本店へ向かった。

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